「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ちばてつやが語る「ちばてつや」」(ちばてつや)

小学生の頃、漫画家にあこがれていた私が最も影響を受けたのが、あしたのジョー』『おれは鉄兵』『のたり松太郎で有名なちばてつや氏だ。どれだけ読んだか、計り知れない。

この本は、日本漫画界のリーダーの氏が、自らの「作品」一つ一つに込めた熱い思いを、執筆当時の制作秘話を交えて初めて綴った。『ジョー』の中で一番描くのが難しかったキャラクターは誰か。『鉄平』の主人公の身長がだんだん小さくなっていったのはなぜか。あの名作の知られざるエピソードが満載の一冊。そのエッセンスを紹介しよう。


「走れジョー」を描いたのは昭和39年(1964)まさに「東京オリンピック」が開かれた年である。私は、主人公・城太郎の「ジョー」という愛称が、ことのほか好きである。同じ時期に連載していた紫電改のタカ」の主人公も滝城太郎であり、そこに通じる「ジョー」という呼び名になぜか愛着がある。「あしたのジョー」も主人公の名前が矢吹丈となったのは、梶原一騎さんが私の「ジョーという名前好き」を知っていて、その名をつけてくられたのではないかと思う。


あしたのジョーのラストシーンには、私の最後のエネルギーを注ぎ込んだ。ジョーとホセ・メンドーサが死闘を繰り広げ、最後はジョーが燃え尽きた姿となって終わる。梶原さんの原作は違う終わり方であったが、ラストのシーンは私に任せるとの了解も得ていた。担当編集者はとも何度も話し、私はジョーの最後のシーンを決めた。あの姿を見てジョーは死んだという人も多い。しかしそれには異論がある。私が描きたかったのは、存分に闘ってきたジョーが「燃え尽きた」瞬間である。生も死も超えて、無言のジョーの抜け殻がそこにある。そんな終わり方にしたかったのである。最終回を描き上げると、燃え尽きたジョー同様、私もしばらく虚脱状態になってしまった。ジョーとともに生きて闘い、燃え尽きた。それだけ打ち込んだ作品であったと思う。描き始めたのが28歳の時。連載を終えた時には34歳になっていた。


その他、「高校生で「貸本漫画家に」」「少女漫画家として雑誌デビュー」「『ちかいの魔球』『紫電改のタカ』と週刊少年漫画誌」「『ハリスの旋風』から『あしたのジョー』への激動時代」「『おれは鉄兵』『のたり松太郎』と青年漫画への進出」「『あした天気になあれ』とスポーツ漫画」「漫画の未来に向けて」など。


「漫画とは人生そのもの」いいなあ。ちば作品、また読んでみようかな。オススメです。(・∀・)