一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」(大野茂)

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ワタシが小学生の頃、父親が少年マガジンを毎週買ってくれた、当時、130円。マガジン全盛期。空手バカ一代」「天才バカボン」「野球狂の詩」「男おいどん」「デビルマン」「ひとりぼっちのリン」「おれは鉄兵」「うしろの百太郎」「あしたのジョー」「バイオレンス・ジャック」「釣りキチ三平などなど名作が満載!毎週水曜日(だったっけ?)が楽しみだった。

 

 「1950年代終わり、高度成長の入り口に立った時代の空気を察知した小学館講談社は週刊少年誌創刊に向けて始動。早くも激しい先陣争いを展開した結果、サンデー、マガジン2誌同時創刊に至る。線の太く丸いメジャー漫画家の獲得、“さわやか”イメージ戦略、正統派ギャグ漫画路線を掲げるサンデー。他方、マガジンは、原作と作画の分業体制、情熱的な“劇画”路線と巻頭グラビア大図解を展開―それぞれ独自の方針を掲げ、熾烈な読者獲得競争を繰り広げた。本書は、両誌の黄金時代を現場で支えた男たちの人間ドラマに迫る。元編集者の証言は、私たちにスリルと多くの知恵を与えてくれる。懐かしい名作やブームの裏話も満載」そのエッセンスを紹介しよう。

・これは、昭和の行動成長期(1958〜1973年)の約15年における少年週刊誌の闘争の歴史である。その始まりは今から50年前、日本初の週刊少年誌が2つ、同時に創刊された。その名は週刊少年サンデー週刊少年マガジン。奇しくも同じ発売日、編集部の人数も13人だった。しかし社風も、作家へのアプローチの方法も、まるで異なる2つの編集部。


両者の抜きつ抜かれつのデッドヒートの中から数々の名作やブーム(マンガだけに限らず、拳銃、切手、プラモデル、アイデア商品、怪獣etc……)が巻き起こされてゆく。流行っている音楽や映画には、必ずプロデューサーがいるように、どんな天才作家がいて、傑作が生まれたとしても、それを世の中に広めるためには、編集者という陰の仕掛け人の存在が必要である。「サンデー」「マガジン」という2つの週刊少年誌の競い合いがなかったら、現在の日本のマンガ文化の隆盛はなかったといっても大袈裟ではない。そして、その闘いの歴史には、個性豊かな編集部員たちの人間ドラマが秘められていたのである。


・1954年(昭和29)年、サラリーマンの大卒初任給が1万3千円、年収が20万円以下の時代、関西の長者番付の画家の部でトップの横山大観に続いて『第二位 手塚治虫 年収217万円』があった。大人は誰も知らなくても、子どもはみんな知っている。王道を走り続ける手塚の後を、横山光輝が『鉄人28号』で猛追していた



・各地のPTAや日本子どもを守る会、母の会連合会などによる「悪書追放運動」で内容に関係なく『マンガである』というだけで、悪書のレッテルを貼られた。『活字と違い、マンガは子どもの思考力を阻害する』『マンガを読むとバカになる』という俗説が大手を振ってまかり通って行くようになる。当時、マンガの広がり方の、そのあまりの凄まじさに恐怖心を抱いた児童文学者や評論家たちが、出版界における自分たちの領域を侵されないよう、保身のために、図書館と結託して悪書追放運動を仕掛けたのだという。真相は定かではない。


小学館で一番重要な雑誌、それは「小学一年生」である。入学初年度に学年誌の読者になってもらえば、そのまま「二、三、四……」と読者はスライドしていく。ところが卒業すると、みんな旺文社の「中学時代」へと移ってしまう小学館では中学生以上を惹きつける定期刊行誌のポジションが手薄なままだったのである。


・「社長、週刊少年誌のタイトル、「少年サンデー」でやりたいんですが……。この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるような「少年サンデー」って名前、太陽雨のイメージで、明るくっていいでしょう?月〜金は学年誌土日はサンデーを読もう、ってどうですか?」

・「内田くん、編集長になったら、自分で企画を考えてはならない。作家にせよ、編集部員にせよ、いかに上手に人を使うか、それだけを考えなさい。僕が贈る言葉は、これに尽きます」(講談社顧問 加藤謙一


今ではショックの代名詞でもある「がーん」という擬音表現は、川崎のぼるがマンガ史上初めて使用したものである。主人公・星飛雄馬の頭の上にかぶさる「がーん」の文字に梶原一騎が感心し、逆に今度は原作の文字原稿にそれを多用するようになった。感動シーンの背景に描かれる巨大な夕陽、そして瞳の中の燃える炎……燃える瞳の場合は、梶原の文字原稿に「飛雄馬の両眼には炎が燃えていた」とあるのを、川崎がそのままダイレクトに表現し、またもやそれに梶原が感服し……と、2人の作者の熱い化学反応によって、この作品は不朽の名作へと昇華していったのである。にもかかわらず5年の長期連載中2人は数度しか会ったことがなく、しかも面と向かって作品に関する話は一度足りともしなかったという。


・僕はその頃、藤子不二雄さんたちと話していて、今の子どもが失いつつあるもの、それは「時間」と「空間」と「仲間」、この3つだと気づかされた。受験勉強で時間がなくなり、遊ぶ空き地もなくなり、イジメで仲間もなくなっている。3つの「間」をなくして、子どもが皆、孤独になっていく。やっぱり子どもマンガっていうものに対する気持ちは、我々は捨てないでおこう、っていうことを再認識しました。こういう志を持ったマンガ家たちとサンデーをつくってゆくべきだなって」(少年サンデー5代編集長 高柳義也)


その他、「先陣争い」「危機を好機に」「サンデー快進撃」「TVマンガの時代」「万博とよど号」「しのびよる黒い影」など。

 

すごい!まさに「少年誌戦国時代」だったんだね〜!手塚治虫横山光輝藤子不二雄ちばてつやジョージ秋山水島新司などのエピソードに感動するね。マンガファン必読!超オススメです!(・∀・)

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