私の50年の人生の中で出会った天才が3人いる。その中の一人が、私の盟友、ソーシャル・アライアンス株式会社代表の岡根芳樹だ。同い年の昭和39年生まれ。絵本作家の「おかねよしき」という顔もある。
その岡根芳樹の初の自叙伝的ビジネス本がこれだ!私、小野塚は同い年のヤツと比較するとかなりオモシロイ人生を歩んできていると自負していたが、岡根の生き方、生き様、人生を見ていると、私の人生がいかに平凡だったかを思い知らされる。
岡根に出会い、「表現力」と「プレゼンテーション」とはいかにあるべきか、そして「あきらめないこと」を学んだ。
「人生は素晴らしい!無駄なことなんで何もない。価値のない人生なんてない。意味のない人生なんてない。人生は舞台である。どん底時代もネタになる。」
岡根の50年の人生を彩る人生の達人たちの笑いあり涙ありの物語。何度も何度も岡根から直接聞いた話なのだが、何度聞いてもオモシロイ。その中でも最も笑えたエピソードを紹介しよう。
・十九歳になる年に上京することを決めた。日本で一番有名な劇団に入ろうと、かの有名な某ミュージカル劇団だ。千名を超える一次の書類審査を見事通過し、いよいよ本番の二次オーディション。用意するものは「歌える得意な楽譜」と「ダンスができる服装」だった。
オーディション会場に集まってきた百人くらいの面々の中で、レオタードではなく高校の体操服を着ているのはもちろん私ただ一人。冷ややかな視線を送り周囲の人が思っていたことはきっとこうだ。「こいつ、とんでもない勘違い野郎か。めちゃくちゃできるすごい奴かのどっちかだ」教えてやろう、答えは前者だ。
やがて私の順番が来た。かつてこの劇団で主役を務めた役者たちも、同じここからのスタートだったのだと自分に言い聞かせながら舞台に上がっていった。いやしかし、かつての主役たちは、決して体操着で舞台に上がったりしなかったであろうが。
伴奏者に楽譜を渡すと、伴奏者が変な声を上げて舞台を下り、審査員のもとへ駆け寄った。「ちょっとこっちへ来なさい」と別室へ連れていかれた。雑然とした狭い事務所のような部屋だった。万引きをして怒られるシーンに似ていた。
「何だ、この楽譜は」「え?」
「だから何なんだ、この楽譜は!うちの劇団をなめているのか」
叩き付けられたその楽譜は「北酒場」の歌詞とメロディーが並んでいた。
はい、北酒場という演歌です。レコード大賞までとった細川たかしの代表曲ですがご存知ありませんでしたか?とは言わなかった。
ふざけているわけでもなめているわけでもなく、いたって大真面目だった。歌える得意な曲を持ってこいと言われただけで、演歌が禁止とはいわれていない。演歌がだめなら事前にそれを伝えるべきだ。そんな屁理屈を言い返していたら結局歌わずに失格となった。
悔しかった。東京に来て最初の洗礼を受けた。「きっと今に後悔させてやる。逃した魚は大きいぞ!入れてくれないのなら自分で作るしかない」と劇団を立ち上げるのだった。
まれに見る傑作である。ぜひ第二弾、そして映画化をして欲しい。もちろん映画監督は岡根芳樹だ。すべてのビジネスマン、そして人生に悩んでいる人に読んで欲しい。超オススメです。(・∀・)