東京にいながら、異空間の場所がいくつか存在する。それが「東京番外地」。「それは普通の人が何となく忌避してしまうところ、近すぎて焦点距離が合わなくなってしまったすぐそこの異界。皇居、歌舞伎町、東京拘置所、山 谷、霞が関――。あらゆる違和にまなざしを向けてきた著者が、無意識の底に沈んだ15の「聖域」を旅する裏東京ルポルタージュ」。その中でも最も響いた章を紹介しよう。
【第八弾 「荒くれたち」は明日も路上でまどろむ(台東区清川二丁目)】
世界には二種類の人がいる。「泪橋」と聞いて、思わず膝を乗り出す人と、まったく無反応な人だ。膝を乗り出す人は言うまでもなく。「あしたのジョー」を読んだ人。ジョー(矢吹丈)が住み着いていたのは。まさしくこの地域だ。実際には、泪橋という橋は存在しない。ただし江戸時代にはあった。当時は「仕置場」と呼ばれた千住小塚原の処刑場に運ばれる囚人たちが橋の上で泣き。これを見送る家族や近親者たちも箸の手前で泣いたとの言い伝えが「泪橋」の由来だという。
「山谷」は正式名称ではなく、行政用語としては抹消されている。宿はドヤだ。山谷は。日本最大の寄せ場(日雇い労働力の売買行為がまとまっておこなわれる場所、あるいはその場所を持つ地域)だった。再生機には300軒以上の簡易宿泊施設に、2万人もの労働者が集まっていた。一泊1000円のベッドハウスに加えて、2000円のビジネスホテルが軒を連ね三階建てのマンモス交番には常時50人近くの警察官が待機し、泪橋交差点脇の居酒屋は、当時日本一の売上があったという。
「これだけ多くの男たちが昼間から酔っ払ってうろうろしているのに事件どころが揉め事もないというのは不思議です」
「まったくないわけじゃないです。でもほとんどないといっても良いと思います。彼らによって地元が潤っていた時代はかつてあったわけですし、そんな意識を一般住民も持っているのでしょう。同時に労働者の側も…何と言ったらいいのか、西部劇の荒くれ男たちのような意識があるんです」
「西部劇?」
「女子供には手を出さないというか。そんな矜持のような感覚です」
まだ足を踏み入ていない場所だ。ぜひとも泪橋、行ってみたい。オススメです。(・ω<)