昭和39年生まれの私にとって、昭和40年代は、日本がもっともキラキラ輝いていた時代。いまでも鮮明に覚えている。新潟から小田原に引っ越し、小学校に入学し、ウルトラマンと仮面ライダーに興奮し、大阪万博に憧れ、沖縄返還があり…激動の時代だった。さあその40年代とはどんな時代だったのか?そのエッセンスを紹介しよう。
・もうそろそろ、昭和40年代を「歴史」としてとらえてもいいのではないか。日本が幸福だった時代として多くの本に「三丁目の夕日」の30年代の幸福感も一体感も喪われるのが、昭和40年代だ。
・昭和44年ごろから流行歌が大きく変わるのだ。それはフォークソングやGS(グループ・サウンズ)がどっと歌謡曲の世界に流れ込んでくる。そして歌謡曲のほうもフォークやGSに近づく現象が起きてくるからだ。
・吉田拓郎が作曲した「襟裳岬(詩・岡本おさみ)」を歌謡曲の森進一が唄って、その年のレコード大賞、日本歌謡大賞を総ナメにした昭和49年が一つの到達点だった。
・40年代に入ると、とたんに日本の歌に「死」という語がたくさん使われるようになる。これが時代の変化でなくてなんだろう(西田佐知子「アカシアの雨が止む時」、ザ・フォーク・クルセイダーズ「帰って来たヨッパライ」)
・フォークソングとは、「聴いているうちに、自分が唄っているような気になってくる歌のこと」だ。そしてギターの伴奏で唄うのがフォークソングだ。ギターだったら弾きながら唄える。エレキは相当演奏に集中しないと駄目だが、これは簡単だ。自分で作詞作曲して、自分で唄う「個人主義志向」の時代にふさわしい。シンガー・ソングライターの途も開けた。だいいちこれならメッセージの発信が出来るから「孤独」ではない。こんな好都合な歌の型式はなかった。これがこの時代、若者の間からフォークの運動が大波のように盛り上がった原因だろう。
その他、「大阪万博博覧会」「よど号ハイジャック」「三島由紀夫割腹自殺」「浅間山荘事件」「横井庄一・小野田寛郎帰国」「三億円事件」「東大安田講堂事件」「スプーン曲げ、ノストラダムス、ブルース・リー」「ウォーターゲート事件」「田中角栄辞任」など。
40年代の歌って、好きなんだよね…。確かにユリ・ゲラーは衝撃的だったよね。この鴨下信一氏のシリーズは皆オモシロイです。懐かしいです。オススメです。(・∀・)