「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「昭和芸能史傑物列伝」(鴨下信一)

いつの間にか4月29日が天皇誕生日からみどりの日そして「昭和の日」になっていたんだねえ。(・ω<)

さて、昭和の大スター、そして国民栄誉賞を受賞した6人、美空ひばり長谷川一夫藤山一郎渥美清森繁久彌、森光子の生涯が語る昭和の芸能史を知るのもいいかもしれない。

その中でも「昭和の歌姫」美空ひばりのページを紹介しよう。


美空ひばりーなぜ、「下品」といわれたのか?】


これほどイジメられた人もいない。日本人はそれを忘れすぎている。
デビューした1949年(昭和24年)の翌年1月の東京タイムス。当時ひばり12歳。


「消えてなくなれとどなりたくなった。吐きたくなった。いったい、あれは何なのだ。あんな不気味なものはちょっとほかにない。可愛らしさとか、あどけなさがまるでないんだから怪物、バケモノのたぐいだ」サトウハチロー


美空ひばりは、その天才少女歌手と言われた昭和20年代(1945〜54)、奇妙で不思議な存在だった。日本人のほとんどがその歌を知っていた、そして唱えた。
それほどの人気がありながら、この子には何か嫌悪感のようなもの、いかがわしさを感じていた。嫌悪感はこの子が敗戦の惨めさを、それを忘れたような大人たちにいつもつきつけるような歌を唱っていたからだ。


いかがわしさは、この子の唱い方にあった。いかにも日本人好みの日本ふうの歌を、この少女は巧妙に英語の歌のように唱った。ひばりは日本がJapanではなく、occupied Japanであることを思い出させた。今度も、意識下に訴えるようなやり方で。これがイジメられた第二の原因だった。


…し、知らなかった…。「昭和の歌姫」と呼ばれたのは晩年の5年位だったというのも以外だねえ。(^_^;)


その他、『長谷川一夫の「科学的」な演技』、『最後の「国民的歌手」藤山一郎は「ジャズ」を歌っていた』、
『知られざる渥美清の素顔』、『「戦争をしくじった」森繁久彌が生涯抱えた陰影』、『森光子が演技で見せた「非情」の瞬間』は、我々の世代も知っておきたいよね。オススメです。(・ω<)