「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

MUSEUM〜「茨木のり子展」(世田谷文学館)


茨木のり子
世田谷文学館 〜6月29日(日)
世田谷区南烏山1−10−10 03-5374-9111
10:00〜18:00(入館は17:30まで)700円
http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html



私の好きな詩人、茨木のり子さん。確か、中学の教科書で初めて読んだ記憶がある。その展覧会があるということで早速行ってまいりました。(・ω<)

ほー!こんなお顔をしたいらっしゃったのか!?与謝野晶子に似てない?しかも撮影したのは半生記のお付き合いがあったという谷川俊太郎氏。

確かに写真からも「品格で書かれた」、「人格で書かれている」とも評されたような品格を感じるなあ。

特に「Y」と書かれた最愛の夫について書かれた直筆の詩は心を打つ。その中で代表的な詩を紹介しよう。



【惑星】
  

ひとびとは やがて
ミルク珈琲色になるだろう
黒・白・黄が 烈しくまじり
煎れたての熱いミルク珈琲の色に


言葉は いつの日にか 世界に
共通のものを編みだすだろう
母国語はそれぞれの方言となって
野の花のように なつかしまれ


血は どれだけ流せばいいのか
流産はどれだけ繰返せばいいのか
ゆっくり 廻る さびしい 惑星


ばらばらなものを 一ツにしたい
何十億も前からの 執念を軸に
猛烈な 癇癪玉まで 手に入れて


【ぎらりと光るダイヤのような日】


短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の


お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう


子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる


それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品になってしまう


世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう


指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう


〈本当に生きた日〉は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ


【行方不明の時間】


人間には
行方不明の時間が必要です。
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです


三十分であれ 一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ


不埒なことをいたすにしろ
遠野物語の寒戸の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です


所在 所業 時間帯
日々アリバイを作るいわれもないのに
着信音が鳴れば
ただちに携帯を取る


道を歩いているときも
バスや電車の中でさえ
<すぐに戻れ>や<今 どこに?>に
答えるために


遭難のとき助かる率は高いだろうが
電池が切れていたり圏外であったりすれば
絶望はさらに深まるだろう


シャツ一枚 打ち振るよりも
私は家に居てさえ
ときどき行方不明になる


ベルが鳴っても出ない
電話が鳴っても出ない
今は居ないのです


目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている


不気味でもあり 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸いこまれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へとさまよい出る仕掛け


さすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって
その折は
あらゆる約束ごとも
すべては
チャラよ


…ああ、そうそう!毎日、行方不明になりたいという方は、世田谷文学館へ。オススメです。(・ω<)