「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「〈通訳〉たちの幕末維新」(本村直樹)

開国や幕末について書かれた本は数々あれど、当時の通訳、つまり「オランダ通詞」たちが、オランダ語だけでは通用しなくなってしまった際に、どのように英語など新しい言語への対応し、欧米諸国との外交交渉をしたのか!?についての生々しい姿を描いたのがこの本。オモシロイ!実にオモシロイ!そのエッセンスを紹介しよう。(・ω<)


・幕末に必要とされたのは「通詞」という集団である。彼らは決して「通訳」ではなかった。確かに、通訳という仕事もしたら、ある時は翻訳者であり、ある時は上人であり、ある時は学者でもあるという多彩な側面を有していた。今日のプロの通訳と比べると、扱う範囲が大きかったといえる。


・本書は、オランダ通詞という、江戸時代を通じて、オランダ語の通訳と翻訳を幕府直轄都市長崎という場所で担うことを生業としてきた職能集団が、江戸時代の最後にどのような姿になっていたのか、という素朴な疑問から出発している。


・そしてその変動期に、通訳・翻訳する言語が大きく変わることに対して、オランダ通詞がどのように苦戦し、そして新しい言語身につけ、明治という新しい時代に立ち向かっていったのかは、日本が近代化する上で、どのように欧米の文化を受け入れていったのかということと軌を一にしており、現代に生きる私たちにも、意味あることだろうと思われる。


・ペリー艦隊との交渉にあたった通詞は、浦賀詰堀達之助と、江戸天文台詰となっていた立石得十郎であった。彼らは、英語については相当程度理解している、しかし一番得意で自由に使いこなさえる外国語はオランダ語であるということである。これ以後、やがて各国との交渉が始まるなんかで、オランダ通詞たちの語学力は、この状態を抜けきることができなかった。そして幕府の終焉を迎えるということである。


アメリカ領事ハリスは、下田にいた通詞たちのオランダ語について「250年前も昔に使用したような古いオランダ語だ」と酷評し、そのため「条約や協約などの用いられるあらゆる言葉を全く知らない」と述べている。長崎で、200年に及ぶルーティンな仕事を請け負っていた通詞に、近代的な外交体制化において、それに見合った語彙や表現を用いて通訳や翻訳をすぐに実行せよというのは難しことであった。