日本に、科学が輸入されてから、わずか150年。幕末期の近代科学導入から、ノーベル賞受賞者一六人輩出に至るまでに発展した日本の科学は、どんな人たちによって築き上げられてきたのか?戦争や国境を乗り越え、道を切り拓いてきた科学者たちの苦闘と歓喜の足跡から綴る、知られざる近現代日本科学史。著者はサイエンスライターの後藤秀機氏。改めて気付いたのは、福沢諭吉の凄さだ。そのエッセンスを紹介しよう。
【福沢諭吉、物理と出会う】
福沢諭吉は、物理が性にあった。物理の世界では、身分の上下とは関係なく、有無をいわさず黒白を付ける。諭吉は、後に慶應の入学生に物理を通じて西洋の物の考え方を学ばせた。文系の専門課程に進むにも物理学を習得している事を必須とした。
明治元年(1868年)、福沢諭吉は「訓蒙窮理(くんもうきゅうり)図解」、今の言葉になおせば、「図解物理入門」と称する本を出版する。この本は「窮理熱」と呼ばれる出版ブームに火をつけ、以後十冊の物理入門書が続いた。果ては習字や落語の本まで「窮理」とタイトルに加えた。物理は日本では朱子学から採り、実際には地学や天文も含んでいたから、「訓蒙窮理図解」は日本初の科学入門書ということになる。この本は、明治5年(1872)教科書が間に合わなかった当事の小学校で理科の教科書としてつかわれた。
政府が「窮理」から「物理」に変えると、彼も「物理要用」を出版する。彼は物理学を学ばせるため、息子の捨次郎をマサチューセッツ効果大学へ留学させている。
その他、「肥後もっこす北里柴三郎」「第一回ノーベル賞で最有力になった日本人」「アメリカに渡った高峰譲吉」「宮沢賢治と盛岡の百姓科学者・鈴木梅太郎」「慶応義塾大学医学部」「白虎隊を生き延び物理学者に」「ライバル・湯川と朝永」「日本人とノーベル賞」など。
科学に興味がない人も楽しめる。オススメです。(・∀・)