「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男」(礫川全次)



知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)


お財布を開くときにいつもお世話になっている福沢諭吉。(・∀・)
知らない人はいないだろうし、お世話になっていない人はいないであろう。しかし、そんな福沢諭吉の詳しいことは全然知りませんでした……。


「近代日本をリードした啓蒙思想家であり、今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。同時に、彼は拝金主義者、ほら吹き、変節漢といった人格的批判も 多く受けた人物だった。下級武士から幕臣啓蒙思想家へと異例の出世をした福沢の真の姿はいかなるものだったのか。福沢に対する人格的批判の当否を検証し、「成り上がり者」福沢諭吉の心性を探る」そのエッセンスを紹介しよう。


『学問のすゝめ』の著者として、慶應義塾創始者として、お札の肖像に選ばれている偉人として、福沢諭吉の名前を知らない者はいない。その福沢諭吉は、実を言えば「気品」や「品格」といった人格的評価の上で、多くの話題を提供してきた人物であった。生前の福沢が、終始「拝金主義者」と呼ばれ非難されていたことは、今日あまり知られていないかもしれないが、これはあくまでも事実である。


幕末から明治にかけて、福沢諭吉は傑出した啓蒙家であり、啓蒙思想家であった。幕末から明治にかけての混乱期に、もし福沢諭吉が、攘夷の風潮を厳しく批判し、欧米の科学や近代的精神をわかりやすく紹介しなかったとしたら、日本の近代化は、ずっと困難なものになったはずである。それは強烈な個性を誇る福沢だったからこそ可能だった


福沢諭吉は、幕末に大阪で生まれ、早く父を亡くしたために郷里の中津に帰る。一家は周囲から孤立した状態で生活されていたという。諭吉は封建社会を敵視し、そこにはりめぐらされている社会規範に反撥した。また彼は、幼少時に「日本一の大金持になって思うさま金を使って見ようと思います」と口走ったという逸話を持つ拝金主義者であった。


・福沢は豊前中津藩の「下士」(下級武士)に生まれた。そこから異例に出世した(成り上がった)人物であった。若いころから機を見るに敏で、商才ににもたけていた。彼はみずからの知識とアイデアを巨万の富に結びつけることに成功した「私立の人民」であった。そうした事実が、同時代の人々の「反福沢」感情を助長したことは否定できない。1882(明治15)年8月11日の『日の出新聞』の記事にも「法螺を福沢、嘘を諭吉」とう字句が出てくるという。


「ペル氏築城書盗写事件」「長崎時代の物貰い事件」「慶應三年の謹慎事件」などは、以外や以外だったなあ。やっぱり偉人っていうのは個性的なんだね。オススメです。(・∀・)




知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)