「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「お金のいらない国3 〜病院の役割は?〜」(長島龍人)

この「お金のいらない国」シリーズは深い…。(*_*) 昨日紹介した「キルギシア」のように、これからの国家の、政治の、行政のモデルになったらいいなあ。その第三弾のエッセンスを紹介しよう。


・紳士は社会面の連続殺人事件の記事を読んだ。

「人が人を殺すんですか?戦争でもないのに」

「ええ。最近は大した理由もなく殺してしまうことも多いみたいです」

「理由もなく…?戦争にしても、私には人を殺す理由なんて考えられませんが」

「その犯人は死刑でしょう」

「しけい?」

「ええ。裁判で死刑が決まれば、殺されます」

「さいばん?」

「ええ。犯罪者をさばいて罪の重さを決めるんですよ」

「人がですか?」

「ええ。人じゃなかったら誰が裁くんですか?」

「私達は誰も裁きません」

「じゃあ、犯罪者はどうするんですか?捕まえないんですか?」

「犯罪というものは滅多に起きませんが、誰かが誰かに迷惑をかけられたと感じて、第三者になんとかしてほしいと思ったような
場合は、病院に連絡します」

「え?病院に?」 〜中略〜


お金が存在しなかったら、法律が必要となる理由はあるだろうか?暴力?なぜ暴力が起きるのか?恨み?憎しみ?でもそれは法律があるからといって止められるものではないのではないか


・では国家単位の暴力、戦争はどうだろう。戦争はなぜ起きるのか?誰かが何かを支配したいから?他の国の土地や資源を自分のものにしたいから?結局、支配欲も所有欲の一種であると考えられる。所有のないお金のいらない国ではやはり起こり得ないだろう。


お金の存在しない社会では、暴力もほとんど起きないのではないか。物に対しても人に対しても所有欲がなく、皆が自立しながら相手の自由を認め、協力し合っている世界で、誰が誰に対して暴力をふるう必要があるのか。そんなことをするのは、それこそ重病人だろう。


・お金のいらない国と私達の社会の決定的な違いがある。お金のいらない国にはギブアンドテイクという発想がない。与えるだけなのだ。私たちの社会にお金が必要になったのは、そもそもが物々交換から始まったからではないだろうか。基本が交換だから、お金という、物の代用品が考えだされたのだろう。そしてお金を貯めることが仕事の目的だというような勘違いが起こったことが、現在のような狂った経済社会を作り、貧富の差を生んでしまった。もし、最初が与えるだけという発想だったら、人類の歴史、社会は大きく変わっていたのではないか。


うーん…、深い…。どっか一地域から実験的に始めてみたいなあ。オススメです。(・∀・)