「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「逆説の日本史19 幕末年代史編2井伊直弼と尊皇攘夷の謎」(井沢元彦)

さて、昨年からずっと読破している「逆説の日本史」シリーズ!
いよいよ!激情の幕末史全真相に突入!井伊直弼吉田松陰福沢諭吉などが登場。そのエッセンスを紹介しよう。


井伊直弼に対する評価が低いのは、自分に反対する精力を徹底的に静粛したことだろう。吉田松陰橋本左内を刑死させたのも大きかった。特に松蔭は、明治維新の中核勢力である長州藩の志士にとっては「神」である。「神」を殺した人間に対して評価が厳しくなるのは当然かもしれない。こういう人々は公教育にも大きな影響力を持っている。しかし、最大の問題は、幕府という組織に固執したことだと私は考えている。


松蔭は死んでもいいと思っていた。なぜなら、誰かが命を投げ出す覚悟を示さない限り、世の中を変えることはできない、と考えていたからだ。松蔭が松下村塾で教えてたかったことは、知識でも武術でもなく、いざとなったら大義のために命を投げ出す覚悟であった松下政経塾とはそこが違うということだ。


・日本の歴史は紀元後から始まったが、エジプトは日本史が始まる頃までに既に3000年の歴史を重ねていたのである。しかし、エジプトは3000年かかっても民主主義を生み出すことは出来なかった。一体、何故なのか?実は中国文明も、軽く4000年くらいはある。にもかかわらず、現在でも民主主義は確立していない。この理由は一体何なのか?


・当時の幕府、いや日本にとって最も必要な人材は有能な外交官である。諸外国から強硬に開国を迫られている国難の時期において、幕府は泥縄式ではあったが、なんとか有能な外交官僚を育てつつあった。その川路聖謨としあきら)、岩瀬忠震(ただなり)、永井尚志(なおゆき)らをすべて追放してしまったのである。そして、その理由は、彼等が一橋派であるから、ただそれだけなのである。


福沢諭吉が、人生最大のショックを受けたのが、江戸から新開地の横浜へ出かけた時のことだった。オランダ語には自信があったのに、外国人居留地の商店の看板がまったく読めなかったのだ。それは英語で書かれていたからである。世はオランダ語から英語の時代へと移っていたのだ。


・この「腐っても鯛」の幕府を何とか生かそう、という考え方は、これからの数年間で急速に時代遅れとなり、「腐った鯛はやはりゴミ箱に捨てるべきだ」つまり倒幕という路線に変わっていく。それがこの時代を見る大きなポイントの一つである。


・日本という国は、中央政権が統治者能力を失うと、地方の勢力がそれを倒して、日本全体を改革するという傾向を持っている。これは日本史の特徴だ、最初の例が平安末期から鎌倉初期にかけての平清盛源頼朝であり、次の例が室町末期(戦国時代)の信長、秀吉、家康であった。ひょっとしたら現代もそうなのかもしれない。それは推測だが、この時は日本歴史上三番目の「地方から日本を変える」という動きが、まさに始まろうとしていた。


今こそ、四番目の変化の時期だと感じているのは、私だけだろうか。オススメです。(・∀・)