「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ギターと出会った日本人たち」(竹内貴久雄)

私の人生にとって、ギターは欠かせない。ギターのない生活は考えられない。ギターがどれだけ人生を豊かにしてくれたかは計り知れない。(・∀・)


さて、ギターは、いかにして日本に伝わってきたのか!?そして近代日本の西洋音楽史についてもふれ、ギター史と西洋音楽史の両方にとって貴重な本。日本人に とって「三味線がギターに変わった日」とは。そのエッセンスを紹介しよう。


・この本は、西洋音楽という未知の世界に私たち日本人が触れ、それを少しずつ自分たちたちのものにしてきた歴史を「ギター音楽」を軸に追ったものです。ギターは西洋クラシック音楽の世界で特異な位置を占めていますが、日本でも同様の経緯を辿っています。


ギターが初めて日本に持ち込まれ演奏されたのは江戸時代末期。初のペリーの黒船来航の翌1854年嘉永7年)二度目に来航したペリー率いるアメリカ艦船の乗組員によるもので、幕府役人との交歓会で弾かれたものだった。その時の余興として催されたのがミンストレル・ショー」と呼ばれる音楽ショーだったことだ。




・ギターと日本人との関わりの「前史」と呼ぶべき時代、すなわち、日本人が初めてリュートを聴いたと言われているのは、足利時代末期の1550年頃以降とされている。もちろん、キリスト教の布教活動の一環として、この楽器が入ってきたことを意味している。


・さて、明治維新となって、文献の上で初めてギターを弾いたといわれる日本人が登場する。それは日本に「野球」を持ち込んだ先駆者として知られる平岡熙(ひろし)だった。平岡は1871年明治4年)に16歳で渡米、アメリカの鉄道工場で車両製造の技術を5年間学んだ後、帰国したが、この時、野球用具一式とともに、一本のギターを持ち帰った


・明治の初めには、まだ、レコードという音の記録媒体が発明されていなかった。そして五線の楽譜を読みこなして音楽を再現するという知識も、ほとんどの者が持っていなかったということ。では、日本人は、どのようにして西洋音楽の「音」を聴いたのだろうか?


その他、「すべては比留間賢八の精力的なマンドリン普及から始まった」「浅草オペラとセノオ楽譜」「イタリアの街角でギターの音色に魅せられた武井守成の帰国」「日本ギター史上で最大の出来事とも言うべきアンドレセゴビアの来日は第二の黒船襲来に匹敵した」「幻のギタリスト池上冨久一郎」…など。


いや〜、知らなかった〜!ギターを日本に伝えてくれた人に感謝!すべてのミュージシャン必読!オススメです。(・∀・)