全巻読破を狙っている井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの14巻。どれも読み応えたっぷり!
さて、年末も近くなると、必ず「忠臣蔵」をやるよね。日本人が大好きな日本三大仇討ちのひとつだよね。しかしそれにまつわる虚構と真実とは?
歴史上の事実である「赤穂事件」はどのようにして「忠臣蔵」という「虚構のタイトル」で呼ばれるようになったのか? 江戸庶民の喝采を浴びた赤穂事件の真実に迫る。そしてあの「生類憐れみの令」で天下の悪政と言われた徳川綱吉は名君だった!?そのエッセンスを紹介しよう。
・大石らが討ち入りをする以前は、浅野内匠頭長矩という殿様は世間一般にどうお思われていたか?まずそれを考えて見ればいい。答えは、「バカ殿の中のバカ殿」である。以外に思うだろうか?
・肝心なことは「なぜ主君浅野内匠頭が刃傷に及んだか」、筆頭家老の大石も、もちろん赤穂藩の他の藩士も把握していなかったという重大な事実である。〜中略〜
・「名君」徳川綱吉が時代のパラダイムをまったく変えてしまおうと発した二つの法令こそ、「生類憐れみの令」と「服忌令(ぶっきりょう)」である。そして確かに綱吉は歴史を変えた。戦国時代以来の「人を斬ることが当たり前」の社会が「動物の命さえ重んじる優しい」社会へと変わった。宗教ではなく政治の力で、こんなことを実現した人物は、世界史の中でもそんなにいないはずである。
特にびっくりしたのは、「綱吉が低身長症であったことをなぜ当時の人は一人も記していないのか?」だよね。まさに「逆説」だ。このシリーズの中でも圧巻の面白さ!オススメです。(・∀・)