今でも覚えているが、中学生の頃、昭和50年前半、教科書に「世界の人口は36億」と書いてあった。いまではその倍だよねー!(笑)教科書の記述って変わるよね〜! (笑)
さてこの本。「聖徳太子、源頼朝、足利尊氏、武田信玄の肖像画は別人だった!縄文時代に農耕は始まっていた!江戸時代の身分制度「士農工商」はなかった!などなど、新たな史料の発見などによって、歴史教科書は大きく書き改められています。
本書は、現在の高校で使用されている教科書と30年前の教科書とを比較し、記述変更に至った根拠を詳細に解説。日本史にまつわる最新情報とは!?その代表的なものを紹介しよう。
本書は、現在の高校で使用されている教科書と30年前の教科書とを比較し、記述変更に至った根拠を詳細に解説。日本史にまつわる最新情報とは!?その代表的なものを紹介しよう。
・「大和」から「ヤマト」へ
「30年前の教科書」
↓
「現在の教科書」
古墳の中でもっとも規模が大きいものは、奈良県(大和) にみられ、この時期大和地方を中心とした政治連合を「 ヤマト政権」という。 古墳は遅くとも4世紀の中頃まえに東北地方中部まで波及したら、 これも東日本の広大な土地がヤマト政権に組み込まれたことを示し てる。
→この政権を「大和朝廷」と呼んだ時代もあったが、「朝廷」 と呼べるのは国家機能が整った統一国家という原則にのっとり、 律令国家となった645(大化元)年の「大化改新」を境として、 それ以前を「政権」、以降を「朝廷」と呼ぶようになっている。「 やまと」の表記が以前の「大和」から現在の「ヤマト」 に変更されたのは、7世紀以前の文献や金石文、木簡などに「 大和」 という漢字表記が一切見られないことが大きな理由となっている。 7世紀以前には「倭」「大倭」「大養徳」などを「やまと」 を読ませることもあり、その表記は定まっていなかった。 また歴史学博士の関和彦市は「邪馬台は正式には『やまと』 と読む」と述べている。これらを区別するためにも、 7世紀以前の政権を示す場合の「やまと」 は漢字表記ではなく音のみを表すカタカナ表記が適切であると判断 されたのだ。
「疑惑だらけの聖徳太子の功績」「『古事記』は『日本書紀』 より新しい?」「日本初の幕府は平氏がつくった!?」「「 1192つくろう」は間違い!」「蒙古軍が撤退した本当の理由」 「「応仁の乱」ではない!」「 鉄砲伝来は種子島だけではなかった」「江戸時代に「藩」 はなかった」「鎖国政策、来航禁止は2カ国だけ!」「 士農工商は江戸時代の身分制度ではなかった」「「 生類憐れみの令」は先進的な福祉政策だった!?」「 日露戦争の真相、教科書から消えた日本の勝利」など。
歴史は変わるね。オモシロイね。これをきっかけにまた学びなおしたいよね。オススメです!♪(・∀・)