「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

HUMAN〜打撃の神様 安らかに 川上哲治元巨人軍監督(日刊スポーツ)

前人未到のV9を達成した元巨人軍監督・川上哲治氏が亡くなった。ONー王、長嶋の全盛期に圧倒的な存在感で、子供のころは怖いイメージがあった。

打撃の神様が逝った。93歳だった。1938年(昭和13)に熊本工業から巨人に入団し、史上初の2000本安打を達成するなど選手時代には打撃の神様と呼ばれた強打者。監督時代には65年から不滅といえる9年連続日本一を達成するなど巨人の黄金期を築いた。「名選手でもあり名監督」だった。

亡くなった日のスポーツ新聞はどれも一面はもちろん、5〜6ページにわたって名監督の偉業をたたえ、冥福を祈った。
その中で、とても印象的な記事を見つけた。V9時代の正捕手であり、愛弟子でもあり、西武ライオンズの黄金時代を築いた森祇晶氏だ。そのエピソードを紹介しよう。




キャッチャー森祇晶(昌彦)



川上さんが監督に就任されて1年目の61年、ベロビーチキャンプでのこと。練習が終わると私は毎日、川上さんの部屋に呼ばれた。川上さんが持ち込んだ電気釜で米を炊き、新聞紙を皿代わりにして、ノリのつくだ煮と一緒にごはんを食べた。そして「勝つためにチームプレーがいかに大事か」「捕手のサインひとつでみんなが動くんだ」と、こんこんと説かれた。


私が西武の監督に就任して、連敗が続くと「おめでとう」と電話がかかってくる。「これだけ負ければこれ以上悪くならんだろ」とおっしゃるので、私も「あと、2つ3つ続きますよ」とやり返す。そういうやりとりをしていると、気持ちが楽になってくる。世間一般には冷たい、厳しいイメージを持たれていたかもしれないが、常に相手の立場を考え、親身になってくださる方だった。


私の現役時代、毎年のように有望な新人捕手や他球団の主力捕手が入団してきた。私という正捕手いるのに、とその時は思ったものだ。外部の血を取り込み、競争をあおり、レギューラークラスを慢心させないために刺激を与えた。私も監督になってからその理由がよくわかった。しかも川上さんは、球界の盟主で常に勝利を求められる巨人でV9という偉業を達成されたのだから本当に頭の下がる思いだ。


これはあまり人に言ってこなかったが、V9時代、大阪で優勝が決まると、川上さんから「オイ、行くぞ」と声がかかる。宿舎のある芦屋から車を飛ばし、行き先は京都の祇園2人だけの祝勝会で目いっぱい酒を飲み、目いっぱい喜びに浸った。私にとって、川上さんは師匠、いやちょっと違う、オヤジ、本当にオヤジだった。ご冥福を心からお祈りしたい。


心よりご冥福をお祈りします。合掌。