昨日に引き続き、「巨人軍の最高機密」第二弾。巨人軍について書かれた本で、ここまでリアルで真実をついた本はないのではないだろうか。元広報だけに書ける内容だと思う。やっぱり江川入団の密約はあったのだ!そのエッセンスを紹介しよう。
・私の知人の球団関係者の多くが、こんな話をしている。「藤田( 元司)はな、どうしても殿堂入りの勲章が欲しかった。だが、 現役時代の実績と一度の監督経験では、資格としてかなり厳しい。 そこで、もう一度、監督として返り咲いて。日本一を経験し、 その実績で殿堂入りしたかったんです」
・長嶋元監督が育てた中畑、篠塚、江川、西本、定岡、松本、 山倉らの若手(当時)が活躍したことで「 藤田は長嶋の後任で優勝できた」という声もあったが、 私はそう思わない。藤田監督は監督としては非常に優れた人物で、 私は素直にその面は認めたい。 監督が代わるとチームのムードも代わる。 もしかしたら長嶋監督では優勝できなかったかもしれない。ただ、 ヤングジャイアンツが、 情熱的な長嶋監督の下で必至になってペナントに挑んでいった姿に は多くのファンが共感したのではないか、と思う。「 長嶋さんにあと一年やらせていたら、 それから長嶋さんと球団の関係もこじれることはなかったし、 球団も変な醜いイメージになることもなかった。 だいたい藤田さんが入ってきて、巨人はおかしくなったんだ。 あの人は余計だよ」
・私は思う。 藤田監督は選手一人一人の個性をうまく引き出して使う名監督と言 われているが、実は、 本当は選手の個性を完全に殺してしまう監督ではないのか。 第一次政権の時は、 長嶋元監督が手塩にかけたきらめくようなスターがいた。 彼はスターの扱いはうまい。ところが、 藤田監督はスターをつくれないのだ。唯一、 監督として価値があるのは「勝てる」監督だったからだ。 それが最後の拠り所である。「勝つ」 ことさえも難しくなってしまったのは、 もはや監督とての価値はまったくない。やはり藤田監督は、 ある程度、 力のある戦力を使い切るだけ使い切る短期勝負にのみ強い監督なの だ、と言わざるを得ない。
・結局、 この人は巨人軍にとて不要な人だったと言えないだろうか。 確かに二度の日本一になり、 四度リーグ優勝を果たした実績は素晴らしいが、 彼のためにONと巨人軍の関係が微妙になり、 人気が信じられないほど低下した。よく考えてみれば、 いいことは一つもなかった。極論かもしれないが、 私はそう思えてならない。
・渡辺社長が川上ー藤田ラインを切らなければならない。 いずれにしろ、このラインが巨人軍の元凶なのだ。
・江川がいた頃は、圧倒的に若いファンが多かった。 江川はたった一人で巨人軍野球の歴史とスタイルを変えたのだ。「 勝つことがすべて」から「勝たなくても面白い野球へ」。 それはある意味では、個人の時代、 いや個性の時代への幕開けであり、 画一的な大量生産によって高度成長を遂げた日本の一時代の完全な 終止符にも似ていると言えないだろうか。
・私が広報室長として巨人軍に出向していた四年間の中で、 もっとも印象に残った選手といえば、 迷うことなく投手の江川卓を挙げる。際立って個性的な、 稀有な存在だった。閉鎖社会のプロ野球界の中で、 江川は自分なりの考えをしっかりと持ち、 自分の人生を冷静に見つめ、状況判断に秀で、 さらには人と人とのつながりにおいてつとめて礼儀正しい男だった 。
・江川「自分が何か勝負をする時は、人の意見は聞くことは聞きます。 しかし、 結果についてはすべて自分が責任を負わなければならないんです」 「 登板した夜というのは躰と心が興奮してなかなか眠れないんです。 試合のことが次々に思い出されて、まったく眠れないんです。 それに躰もほてったままで、それを鎮めないと駄目なんです」
・ 巨人軍のトップシークレットというのは守られた試しがないのだ。 必ず記者たちに嗅ぎつけられてしまう。 それだけ巨人軍がマスコミに執拗にマークされていて担当記者たち が優秀であった、ということも言えると同時に、 巨人軍の体制が秘密保持にいかに適していないか、 ということである。
特に「江川、突然の引退告白」「やはりあった入団時の密約」「 原の婚約を東スポにスクープされる」「 柴田勲氏逮捕事件を生んだ背景」「 巨人に見切りをつけた有能スコアラー、井上浩一」「好打者・ 加藤英司が巨人を追われた理由」など。
これはジャイアンツファン必読だね!知っておいた方がいい。オススメです!(・∀・)