「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「西郷隆盛 命もいらず名もいらず」(北康利)

鹿児島に行くたびに思う疑問が、なぜ西郷さんは自決しなければならなかったのか!?である。


「西郷にとって国家とは、近代化とは──当時にあってすでに伝説的な存在であった西郷という偉大な人物の生涯をたどり、現代の日本人が国難にいかに対処すべきかの指針を示す、北康利ひさびさの大型ノンフィクション!」そのエッセンスを紹介しよう。



・真の政治家に求められるのは、「何を守るために変革しようとしているのか」を見失わない冷静さと、相手を赦す心の広さだ。勝海舟は、西郷という男の器量を知っていた。「あれは政治家やお役人ではなくて一個の高士だ」彼は後にそう語っている。高士とは、志高く説を接すること固い有徳の士をいう。


高杉晋作坂本龍馬木戸孝允大久保利通大村益次郎も、それぞれ大きな役割を果たした。だが、誰が欠けていたら成り立ち得なかったといえば、それは間違いなく西郷隆盛その人であっった。西郷にとっての近代化は、先進技術を導入して国力をつけることではあったが、決して欧米化ではなかった。彼は帝国主義の覇道を否定し、「徳」による王道で国家運営をしようとした。それが「力」で世界を支配しようとする欧米諸国に対してつきつけた、国家とはどうあるべきかという彼の答えだったのである。


「理(理屈)を言わず実行あるのみ」というのが薩摩の藩風だった。そして「いろは歌」と並んで大切にされたのが「三つの戒め」である。「負けるな、嘘をつくな、弱い者いじめをするな」は、彼らの中で絶対だった。


・西郷は、当時としては人並み外れた巨躯の持ち主であった。五尺九寸(179センチ)二十九貫(109キロ)だったという。欧米人も彼のことは大きいと感じたようで、英国公使館付通訳として彼と親交のあったアーネスト・サトウも「筋骨たくましい巨大な人」と表現し、「黒ダイヤのように光る大きな目玉をしているが、しゃべるときの微笑みは何ともいえぬ親しみがあった」と日記に書き記している。



・西郷の行動はいつも同じ。興奮して殺気立っている者たちの中にずかずか踏み込んでいき、度肝を抜いて彼らの目を一気に覚ますのだ。自分の生命を犠牲にするなど鴻毛ほども厭わない覚悟こそ、西郷隆盛といいう人間の最大の強みである



「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬ也」(「南洲翁遺訓」)そう周囲に語った通りの人生を彼は生きた。西郷隆盛の無私の精神は、日本人の到達した一つの頂点である


うーん…やっぱり西郷さんはスゴイなあ。オススメです。(・∀・)