「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「逆説の日本史8 中世混沌編 室町文化と一揆の謎」(井沢元彦)

今年は全巻読破を狙っている井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズ。累計250万部突破だって。スゴイなあ!(・o・)

いよいよ室町時代に突入。なかでも印象的だったのが、「将棋、この日本文化の最高峰」だ。そのエッセンスを紹介しよう。


・では、日本文化の特徴を改めて考えてみよう。それは一般には「オリジナルには欠けるが、外国から輸入したものを改良・変革し、独自の優れた『製品』にする」ということだろう。将棋の原型は、インドで生まれたチャトランガという戦争ゲームである。つまり世界で初めて古代インド人が、駒をつかった盤上遊戯としての「戦争」を発明し、それが西洋に伝わってチェスとなり、東に伝わって将棋となったということなのだ。コンピュータはチェスの名人には勝てても、日本将棋の名人にはとうてい及ばない、のである。なぜか?「取った相手の駒も使える」という「駒の再使用」という独創的なルールがあるからだ。実は、この「駒の再使用」というルールは日本人のオリジナルで、世界中どこを探してもない。世界中の民族が英知をしぼった「オリンピック」の中で、日本人だけが思い付いた「一手」なのである。なぜこの破天荒な奇想天外なルールを、日本人は発想することができたのかということなのである。戦争で言えば、殺した敵が「ゾンビ」のように復活し、次の瞬間「味方の兵士」になるということだ。実際の戦争では、そんなことは絶対にありえない。ということは、簡単に言えば、日本将棋は決して戦争ゲームではない」ということなのである。


・答えは簡単、「マネー・ゲーム」だと言えばいいのである。西洋人にはこう言えばいい。「将棋は二つの陣営に分かれて経済戦争をし、相手の基本財産まで差し押さえたら(つまり玉を詰めたら)『勝ち』というゲームです。敵の金将という駒を取ったとします。これは経済で言えば、相手の傘下の会社を乗っ取ったということです。当然、その会社は今度はこちらの会社になります。それが『持ち駒』ということです。戦争なら敵の軍人を殺したり捕虜にしても味方にすることは不可能ですが、会社(資本)や財物は奪えば自分の物になる、これが、他の戦争ゲームであるチェスや中国象棋との大きな違いです」と。


なぜ、本来「戦争ゲーム」であったものが、「マネー・ゲーム」になったのか?直接的には、駒を「騎士(ナイト)や「僧正(ビショップ)」や「城(ルーク)」のような人物及び戦争の道具の象徴ではなく、玉や金、銀、桂のような宝物(財物)にしたことにある。つまり「歩」という使用人、「飛車」「角行」というガードマンに守られた、玉、金、銀という「財宝」を奪い合うのが将棋なのである。だが、将棋の駒が「財宝」を表すから、将棋がマネー・ゲームになったのではない。むしろ逆で、将棋を「戦争ゲーム」にしたくない、という強い意思が先に存在し、その結果として財物を象徴化した駒が生まれたと考えるべきなのである。


・そういえば、将棋の歩が成って金将と同じ働きをするようになった時、なぜ「と金」というのか。それは「鍍金」であろう。鍍金とは「金メッキ」のことである。当時の日本人にとって最も身近な「鍍金物」は何かといえば、それは仏像なのである。やはり将棋は公家文化の精華と考えるのが最も妥当であろう。


その他、「懶惰の帝王・足利義政編ー無責任将軍が招いた応仁の乱」「日野富子日野富子と傀儡政権編−「半将軍」細川政元のクーデター、「国一揆一向一揆編−律令制度の崩壊と新しい土地システム」、「室町文化の光と影編−忘れられた日本文化のルーツ〜世阿弥の正体と能面の仕掛け、将棋、この日本文化の最高峰」「折り紙と風呂敷」「花のみち、茶のみち」など。


やっぱりこのシリーズはオモシロイ!一気に読ませる筆力はさすが。オススメです。(・∀・)