「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「オセロ百人物語〜オセロ史を飾った名選手たち〜」(長谷川五郎)

オセロを最後にやったのは、いつのことだろう!?思い出せないっ!!!おそらく小学校の頃かなあ!その頃は、将棋に夢中だったからなあ!(・∀・)
 
 
「敗戦後の瓦礫の中から生まれ、全世界へと広がり、愛されるようになったゲーム、オセロ。その生みの親が、オセロ60年の歴史を綴る。名選手たちの勝負をたどりながら、運命を分けた一手を丁寧に解説。実践指南書としても最適」そのエッセンスを紹介しよう。

 
一分で覚えられるが無限の奥深さを持つオセロは、年齢、男女、国境を超えて親しまれ。友人の輪を広げていきます。本書は、オセロ60年の歩みを、日本オセロ連盟のHPに丸2年にわたってオセロ誌を飾った百人の名選手の物語」という題目で連載し、好評を博したものに手を加えて一冊の本にまとめたものです。
 
オセロの原型は、1945年9月に茨城県水戸市で生まれました。囲碁をよく知らない中1の生徒達のガヤガヤワイワイの中から、相手の石を挟んだら取るというルールが私の発案で生まれました。だからオセロの石は黒と白です。初期のオセロは挟んだらいちいち黒石、または白石を全部そのつど取りかえて行っていました。やがて表裏を黒と白にしたボール紙を使うようになりました。
 
囲碁半年、将棋3ヶ月、麻雀2週間、オセロ5分という言葉がありますがこれが平均的一般人がそのゲームを覚えて自力燃焼できるようになるまでの時間をいいます。1964年にはじめた囲碁は一ヶ月も経たないうちに挫折!将棋も挫折!そこで以前のオセロを思い出し早速会社に持っていった「ワー、面白い!!」と大反響。本社、東京支店の多くの女子社員勃ちが昼休みにオセロを楽しんでいました。「日本人の半分は女性!これは大変なことだ!!」
 
・製薬会社に勤めていた私は、担当のある有名病院のS医局長に会って、その話をして、牛乳びんのふたと駒とチェス盤(8×8路盤)を示したところ、一局打った後、S先生は「このゲームには華がある。社会復帰を目指す患者さんのリハビリには最適(頭を使う、手を指を使う、人と対話する…)のゲームだ。これはおそらく全国のたくさんのリハビリにはげむ患者に福音をもたらすことになるだろう」と太鼓判を押してくれました。
 
・このS先生の予言が正しかったのは、その後の歴史が証明しています。静岡県にある1000人を超す入院患者がいるT施設の入所者は、毎日オセロを楽しみ、励み、ここからついに全日本チャンピオンも生まれました。オセロはまた、全国の盲人の福音となるゲームにも発展しています。
 
・オセロゲームの名付け親は、私の父である英文学者、長谷川四郎教授です。シェークスピアの劇「オセロ」からとったものです。美しき白人の妻デズデモーナ(白石)を持つ黒人将軍オセロ(黒石)が緑の平原(緑の盤)で勇敢に戦う波乱万丈の物語ですが、それはオセロゲームそのものでしょう。
 
・株式会社ツクダの佃光雄社長に会ったのが、1972年10月のこと。この出会いが、今から思えば日本全国および世界へとオセロが羽ばたくきっっけとなりました。普通オモチャの契約は1年です。それが最初から10年契約となり、本格的な情熱でこのゲームを育てていこうという両者の決意がそこにありました。「この業界では5万台出ればヒット商品。オセロはじっくり10年かけて育て上げ、合計で50万台は売ってみせますよ。そして現在1000人のオセロファンを10年後には1000万人にしましょう」
 
・1973年4月25日の発売後間もなく、ビッグバンが起こったのです。これによって、その1年間でオセロ競技人口は一気に2000万人になあり、伝統のある囲碁1000万人、将棋1500万人を抜いて一躍トップになりました。現在は6000万人以上となり、日本で最もポピュラーなゲームの一つになっております。
 
 
新しい歴史の中でも「オセロ史」があるんだね。オセロ誕生のくだりがオモシロイ。オススメです。(・∀・)