「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「たましいの場所」(早川義夫)


私、おのづかてるは、酒場のギター弾きである。
たまに、「もっとも好きなミュージシャンは?」と聞かれることがある。吉田拓郎井上陽水河島英五…数多くのアーチストがいるが、実は伝説のバンド、元ジャックスののリーダー、早川義夫なのだ。(・∀・)現在65歳。


18歳からライブ活動を始め、21歳でデビュー、そして23歳で突然、音楽業界から引退。早川書店を開店し、本屋のおやじになる。そして23年間音楽活動を休止。その沈黙を破って再デビューしたのが19年前、47歳の時。その時CDを聴いて、泣いた…感動した…。(T_T)


氏の著作はすべて座右の書である。氏の音楽観がもっとも私の音楽観に近いのだ。「そーそーそー!」とうなってしまう。久しぶりに再読したのがこの本「たましいの場所」早川義夫ワールドを紹介しよう。



・この歳になってはじめてわかったことなのだが、変わったのは、見ためだけであり、考え方、感じ方は、何一つ変わっていない。成長もなければ退化もない。常識とか体裁などをいっさい気にしなければ、頭の中、心の中は、誰もが中学生であり、十八歳であるのだ。恋をしていいのだ。叫んでいいのだ。歌を作っていいのだ。恥をかいていいのだ。答えはなくでもいい。答えをだすためにいきているのだ。僕たちは生きている最中なんだ。そう思った。過去を歌うのではない。明日を歌うのとも違う。今を歌っていくのだ。


なぜ、歌を作るのだろう。なぜ歌を歌うのだろう。言いたいことが言えて、やりたいことがやれて、吐き出せていれば歌は作る必要はない。語っても語っても言いそびれてしまうことや、心の底にくすぶっているものが歌になって生まれてくるのだと思う。本当のこと、言ってはいけないこと、言わなければよかったと思うようなこと、いや、やはりきちんと伝えておかなければならないことが歌われるべきなのだと思う。そして表現されたものが、キレイに思われるか汚く思われるかが問題なのだ。


僕には才能がない、技術もない。学んだことがない、しかし、歌は作れる。誰だって作れる。こうして喋ったり、黙ったりしていることが、実は歌なのだ。「えっ」ってびっくりしたり、「あのね」って言ったり、発する言葉に全部、音符が付いているからだ。歌はその延長である。


・恋をしたいから恋をするのではない。写真を撮りたいから写真を撮るのではない。写したいものがあるから撮るのだ。写したいと思う気持ちを撮るのだ。歌いたいから歌うのではない。歌いたいことがあるから歌うのだ。自分を歌うのだ。


・僕はなぜ歌うのだろう。誰に向けて歌を歌うのだろう。誰が僕の歌を聴いてくれるのだろう。誰が僕を見つめていてくれるのだろう。歌が生まれそうだった。自分の弱さを歌にしたかった。自分の醜さを歌にしたかった。自分のかっこ悪さを歌にしたかった。それしか歌にするものはない。僕が望んでいるものは何なのだろう。僕が求めているものは何なのだろう。僕が感じたいものは何なのだろう。この世で一番キレイなものは、いったい何なのだろう。


歌をうたうということは、セックスを連想させる。口をあけ、胸をひらき、手を広げ、声を出す。楽器を奏でることも、その演奏の仕方が、その人のセックスを連想させる。お酒の飲み方も、ご飯の食べ方も、喋り方も、笑い方も、歩き方も、みんなそれを連想させる。


・あと一週間の生ですと言われた時、僕は何を思って死んで行くだろうかと考えた。「ああ、もっといやらしいことをたくさんしとけばよかった」と言って死んで行くような気がした。次女に話したら「あたしもそうだ」と言った。(困ったものだ)。もっとたくさんの人と、もっとステキな人と、もっといやらしいことを。そう考えるのは間違っているだろうか。


「なかなか歌が出来なくて」とこぼしたら、音楽仲間から「最近、悪いことしてないからじゃないですか」と言われてしまった。実際、僕の場合、架空の物語を創作することは出来ないから、悪いことをしなくちゃ歌は生まれてこないのである。


・たとえば、歌を作る時、僕の場合、作り話は出来ないから、実際にあったこと、経験したことしか書けない。だから、非常に恥ずかしい。それも、恋愛中は、歌など作る必要はないから、日常が歌っているようなものだから、すべてが終わったあとだ。だから、暗い。過去形になる。でも、歌はやはり、ロマンチックな方がいい。夢がある。想像できる。人に聴かせられる。見せられる。しかし、どうも僕は、そこのところが欠けている。暗い部分を歌いたくなる。歌いたくない部分を歌いたくなる。自分の中の、せこい部分や、せこかった部分、いやらしい部分、いやらしかった部分を、なんとか、歌いたくなる。歌っても、形にしても、その部分が消えて無くなるわけではないだが。いかに自分の醜さやいやらしさをあらわすか。それも、出来れば、キレイに。


歌は、悲しいから歌うのだと思っている。寂しいから、歌うのだ。人とは、違うから歌うのだ。何かが、欠けているから歌うのだ。もしも、楽しいのなら、もしも、幸せなら、満足しているなら、精神が健康ならば、なにも、わざわざ歌を作って人前で歌うことはない。すでにもう、日常で音楽が鳴り響いているのだから。それは、お腹いっぱいなのに、まだご飯を詰め込むのと似ている。ゆえに、歌うことが偉いわけでも、ましてや、かっこいいわけでもない。歌わざるを得ないのである。


そーそーそー!そのとおりだ!ああ、歌を歌いたい!ギターを弾きたい!こんな純粋な赤裸々な65歳がいるだろうか!?超オススメです。




こちらの本もオススメです。早川義夫は最高です。


「いやらしさは美しさ」(早川義夫)


「いやらしさは美しさ」その2(早川義夫)