「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「逆説の日本史7 中世王権編 太平記と南北朝の謎」(井沢 元彦)


昨日は、たくさんのバースデーメッセージありがとうございました。最高の一日でした。さて、最近、ハマリにハマっていて毎日読んでいる井沢元彦氏のこのシリーズ!(・∀・) 今年は全巻読破するぞー!


BOOK〜『逆説の日本史1 古代黎明編 封印された「倭」の謎』

http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20130228

BOOK〜『逆説の日本史2 古代怨霊編 聖徳太子の称号の謎』

http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20130315

BOOK〜『逆説の日本史3 古代言霊編 平安遷都と万葉集の謎』

http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20130327

BOOK〜『逆説の日本史4 ケガレ思想と差別の謎』 (井沢元彦
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20130407



その第七弾も、ドキドキワクワク!目からのウロコ!そのエッセンスを紹介しよう。



・本来は文学作品である太平記を分析することによって、この時代の様相さらに日本史の真実が、より明らかになると思うからである。太平記』とは現代語に訳せば「平和物語」なのだが、内容を見ると約半世紀にわたる戦乱の物語だ。一種の皮肉なのだろうが、まったく理解に苦しむ。つまり「言霊」である。太平記には大きな謎がある。それは「巻二十二(第二十二巻)が無い」ということだ。また、多くの識者が認めているのは、特に第二部と第三部の間に大きな「断絶」があることだ。


・私が考える前半・つまり「原・太平記の作者の第一候補は、『太平記』巻四に登場し、戦前では誰一人知らぬモノが無かったと言えるほど有名なエピソードの主人公である。児島三郎高徳なのである。


足利尊氏とはどんな人物だったのか?結果において、尊氏は日本を半世紀もの間戦乱におとし入れた張本人である。戦前の教育では、確かに尊氏を大悪人として教えていた。しかし、それは「後醍醐天皇」に反抗したから逆臣という、皇国史観による不当な評価であった。政治家としては「失格」、それが厳しすぎるというなら、「二流」としか、言いようがない。では、「イヤな奴」だったのか?これが全然違う。公人としては「失格」でも、私人としては「いい人」であり、「やさしい人」であり「気前のいい人」なのだ。だからこそ政治家失格なのだ、という冷厳な事実である。これは歴史における最大の逆説の一つかもしれない。では、頼朝や家康に比べて尊氏に何が欠けているのか。それは「非情さ」だということだ。


足利義満は、日本史の一大特徴である「天皇」を語るのに欠かせない。つまり天皇になろうとした将軍」だからなのである。もちろんこれは歴史上唯一人だ。それは、天皇家の出身でないにもかかわらず、天皇になろうとした、ということである。「人は皇帝にはなれるが天皇にはなれない」のである。


・こうして義満は日本国王となった。王には宮殿がいる。その宮殿こそ、今日、金閣と呼ばれるものなのだ。金閣は正式には鹿苑寺であり、われわれが金閣と呼び慣わしている建物は、正確には舎利殿という。一層(階)は寝殿造で法水院、尼僧は武家造で潮音洞、三相は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くつきょうちょう)。たとえば思い浮かべて欲しい。日本の国会議事堂の中央部分が、一階は平安時代風、二階は鎌倉時代風で三階が中国風なんてことになっていたら、一体国民はどう思うだろうか?こんな奇妙な建物は、金閣以前にはまったく無い。



・全国におそらく一千はあるであろう「古寺」のうち、屋根の上に鳳凰の飾りがある寺は、金閣平等院鳳凰堂と、あとは金閣のコピーである銀閣ぐらいなのだ。従って、鳳凰の飾りというのは、極めて特殊な例なのである。



「尊氏と後醍醐編」「『太平記』に関する小論集」「尊氏と直義編」「『日本国王足利尊氏の野望篇」「『恐怖の魔王』足利尊氏編」


本当に、歴史の教科書にして欲しいくらいオモシロイ!オススメです。(・∀・)