「1868年(慶応4)、政府の「神仏分離」政策に力を得た神社関係者は全国で仏堂を壊し、仏像や経典を焼却するなどの暴挙に出た。「廃仏毀釈」である。彼らにより古来の貴重な仏教遺産は悉く破壊された。あの奈良・興福寺の五重塔さえスクラップとして売り払われようとしたのである」そのエッセンスを紹介しよう。
・ 和というのは聖徳太子が十七条憲法で規定した日本人最高の守るべ き原理である。 聖徳太子自身は個人的には我が国の天皇家出身のナンバー2( 摂政)であり、同時に熱心な仏教徒でもあった。にもかかわらず、 日本人がまず従うべき原理は天皇でも無く仏教でも無く和である、 とした。じつは和に対する信仰の根底には怨霊信仰がある。 日本人は怨霊を恐れていた。 ケガレを嫌うと同時に怨霊こそ悪の根源である、 と考えていたからである。
・日本には仏教が入ってきた。 さらにその後にキリスト教が入ってきた。 この二つの宗教のきわめて大きな違いは、 仏教が受け入れられたのにキリスト教は受け入れられなかったとい ことである。なぜ仏教は受け入れられたのか?「 怨霊鎮魂についての有力な技術」としてまず導入されたのである。 奈良の大仏はなぜ造られたのか? あの時天皇家では男系の子孫が絶え崩壊の危機にあった。 きっかけは藤原氏が藤原出身の光明皇后を実現するため、 皇族の長屋王一族を滅ぼしたからである。 ところがその犯人である藤原四兄弟が次々に疫病で死ぬという不幸 が起こった。これは天然痘が日本に上陸したからなのだが、 古代人はそんな科学は知らない。 光明皇后実現のために殺された人々の祟りととらえた。 だからこそ四兄弟の妹である光明皇后の強い意向で大仏は造立され た。それが井沢学説である。
・ さらにそのうち神道には無いもう一つの仏教の要素が日本人をとら えた。それは「あの世」あるいは来世である。 仏教は来世を保証し、 特に浄土教は阿弥陀如来を信仰すれば極楽浄土に生まれ変わるとい う教義を持って日本人を虜にし、ケガレへの転落であった「 日本人の死」 を来世の希望に変えるという百八十度の転換を成し遂げた。 つまり仏教は神道の欠陥を補うものを持っていたため、 広く日本人に受け入れられたのである。
・日本料理を代表するものを一つだけ挙げるとすれば、 それは鍋料理である。鍋料理はどんな素材でも受け入れる。 日本ものであれ、西洋のものであれ、中国のものであれ、 一つの鍋の中で融合させ料理にしてしまう。これこそ「日本」で、 もし日本教というものがあるとしたら、 鍋の中にある具材ではなく、鍋料理という「システム」 自体だろう。しかしキリスト教という強烈な食材は、 鍋に入れると他の味を全部ぶち壊しにしてしまう。 超極からのカレーのようなものだ。 だから我々の先祖はキリスト教を受け入れるのを拒否したのである 。
「日本新聞史上最低最悪の記事とは?」「毒酒=朱子学の問題点」
やっぱりオモシロイわー。また読み直そう。オススメです。(・∀・)