「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「言霊 なぜ日本に、本当の自由がないのか」(井沢元彦)

最近、ハマっている井沢元彦氏。この著作はスゴイ!!!!!(゜o゜) 私が長年、潜在的に感じていた疑問がスーっと解けたような気がするのだ。そして私自身、この「コトダマ教」に侵されている(!?)ことが判明した。そのエッセンスを紹介しよう。


・コトダマとは何か、一言で言ってしまえば、それは「言葉と実体(現象)がシンクロする」「ある言葉を唱えることによって、その言葉の内容が実現する」という考え方のことだ。もっと簡単に言えば、「雨が降る」と言葉を口にすれば、実際に「雨が降る」という考え方のことである。もちろん、実際にはこんなことはありえない。なぜ雨が降るのか、それは気圧の変化による純然たる自然現象であることを、われわれは科学によって知っている。しかし、古代の人々は無論そんなことは知らなかった。そして言葉に一種の霊的威力(霊力)を認め、それを口にすることによって、その霊力を発動させ、その作用によって雨を降らすことができると考えたのである。コトダマを生かすために、それを口に出すという行為をコトアゲ(言挙げ)という。何とも奇妙な世界だ、とあなたは考えるかもしれない。しかし、古代においてはこれが普通のことであった。むしろ日本人の最も素朴な形の宗教として、このコトダマ「教」があった


コトダマの支配する世界では、自由に言葉を使うことができない。それは言葉というものが、「いい(結果を呼ぶ)言葉」と「悪い(結果を呼ぶ)言葉」に二分されてしまうからだ。コトダマの支配する世界では、言葉を使うことが同時に、その言葉の内容を実現させることになる。もっと正確に言えば「言葉の内容の実現を祈る(願う)」ことになる。つまりコトアゲだ。いいコトアゲならいいが、悪いコトアゲは許されない。それゆえ、言葉を自由に使うことができなくなるばかりか、他人の言葉を使う自由まで侵害する連中が出てくることになる。それが言葉狩りというものの正体だ。


例えば料金値上げを「改定」と言ってみたり、全滅を「玉砕」、敗戦を「終戦」と言う。侵略を「進出」と言い換える。なぜ新聞社は購読料を「値上げ」と言わず「改定」というのか。なぜ値上げなら値上げと言わないのか。改定と言えば、それは値下げの場合も含むのである。正確な用語ではない。ジャーナリストとしては使うべきではない


「日米構造協議」は、アメリカでは「Structural Impediments Initiative Talks 」、インペディメンツという言葉(障害)がすっぽりと落ちているではないか。正確に直訳すれば「構造の障害に関する手始めの協議」ということになるはずだ。日本のシステムが障害であることは、協議事項ではなく前提なのだ。こう考えてくると、もう「日米構造協議」というのは誤訳であるといってもいいだろう。しかも世間をごまかし、世論をまちがった方向に誘導する、きわめて危険な誤訳であるといってもいいだろう。


うーん…深イイ!(゜o゜)本書の巻末の推薦文は、あの著名な経営コンサルタント大前研一氏によって書かれている。ほとんど本を読まない氏が「近年まれに見るユニークさをもった良書である」と評した。全く同感である。これは中学高校の授業の教科書にした方がいいのではないか?と真剣に思っている。超オススメです。(゜o゜)