「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本語練習帳」(大野晋)

この本はオモシロイ!(・ω<)当たり前に使っている日本語を深く掘り下げている。


たとえば、「うれしい」と「よろこばしい」とはどこが違うのか。「わあ、うれしい」とは叫んでも、「わあ、よろこばしい」とは言わない。それは「うれしい」が個人の期待や願望がかなったときに使う言葉であるのに対し、「よろこばしい」は社会的におめでたい事柄を祝う気持ちを表す言葉だからだ、なんだとか。ほー!φ(..)メモメモ

改めて言葉とは?日本語とは?考えさせられる一冊。特に気になった文章を紹介しよう。


言語とはどんなときに使われるだろう。例えば、ここにABC三組の男女がいる。三組とも会話をしない。

Aの組は結婚したばかりで、夫は原稿を書いている。妻は何くれと手仕事をしている。二人は黙っていて、言葉はないけれど、妻は夫の気持ちが分かって満足している。夫も妻の心が分かっている。ここには会話はいりません。

Bの組は結婚何年目か。この二人も会話をしない。二人は近々離婚するのです。何年もの恨みや憎しみがお互いの心に満ちている。

Cの二人はじつは恋仲なのだが、心の奥深くに思っていることを言葉の形にできなくて困っている


言葉を使うときはいつも相手と関わりたいという心をもつとき。相手が自分について、また自分の思うことについて分かっていないところがあるのを、分かってもらいたいと相手に求め、相手の注意を引き、相手の知らない事柄を知らせる。そういうときに言語を使う。泣くとか抱きしめるという行動でそれを表すこともある。言語はそういう表現行為の一つです。


自分の思うところをaと表現したとき、a'と取ったとしたら、それは相手がa'と取り得るように表現した自分が悪い。相手が分からないと言ったら、分からない表現をした自分が悪い。相手がaと取れるように、aとしか取れないような形式を選び出して表現することを心がけなくてはならない。言葉は天然自然に通じるものではなくて、相手に分かってもらえるように努力して表現し、相手をよく理解できるようにと努力して読み、あるいは聞く。そういう行為が言語なのだと私は考えています。


言葉を、コミュニケーションを大切にしたいよね。オススメです。(・ω<)