一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

BOOK〜『魔法のラーメン発明物語 私の履歴書』(安藤百福)

時々カップ麺をむしょうに食べたくなる。やっぱりその時の定番は日清のカップヌードルなんだよね、私の場合。( ̄∇ ̄)


さて、この本は「魔法のラーメン」と呼ばれたチキンラーメンカップヌードルを開発した日清食品の会長・安藤百福氏による、自叙伝。日本経済新聞私の履歴書の単行本化なのだ。

どうやって魔法のラーメンは生まれたのか?そこにはどんなドラマがあったのか?そのエッセンスを紹介しましょう。


・なぜ私が即席麺の開発にこだわったのか。太平洋戦争で、大阪の街は焦土と化した。食べるものがなく、スイトンや雑炊が食べられればいい方だった。芋のツルまで口にして飢えをしのいだ。阪急梅田駅の裏の闇市の冬の夜、そこには二、三十メートルの長い行列が出来ていた。一軒のラーメン屋台だ。粗末な衣服に身を包んだ人々が、寒さに震えながら順番が来るのを待っていた。一杯のラーメンのために人々はこんなに努力するものなのか。ラーメンという食べ物に、初めて深い関心を持った。極限になれば人間の本質が見えてくるという。私は何か透明な感じで食というものに突き当たった。人間にとって食こそが最も崇高なものなのだと感じられた。


・即席麺チキンラーメンの開発に成功したのは、忘れもしない58年8月25日である。48歳になっていた。遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎるということはない50歳でも60歳でも新しい出発はある。私は今年92歳になった。振り返ると波乱の連続だった。両親の顔も知らず、独立独歩で行きてきた。数々の事業に手を染めたが、まさに七転び八起き、浮き沈みの大きい人生だった。成功の喜びに浸る間もなく、何度も失意の底に突き落とされた。しかし、そうした苦しい経験が、いざという時に常識を超える力を発揮させてくれた


・57年(昭和32年)家庭でお湯があればすぐ食べられるラーメンの開発の実現しようとしていた。部下もいなければカネもない。一人で取り組むしかなかった。昔なじみの大工さんに頼んで、庭に十平方メートルほどの小屋を作ってもらい、研究所にした。まったく手探りの状態で研究を始めた私は、たった一つ天井からさがった40ワットの裸電球の光の下で、朝5時に起きるとすぐに小屋にこもり、夜中の一時、二時になるまで研究に没頭した。睡眠は平均四時間、こんな生活を丸一年の間、一日の休みもなく続けた。失敗を繰り返しながら、しかし、少しずつ前進していることはわかっていた。その先のわずかな光を頼りに、進み続けるしかなかったのである。


とにかく波乱万丈の人生だ。幼い頃に両親を亡くした。22歳の時のメリヤス販売、幻灯機の製造、バラック住宅製造、塩作りと漁業、中華交通技術専門学院の設立、脱税容疑で財産を差し押さえられ全ての不動産没収、巣鴨プリズン(東京拘置所)への収監、信用組合破綻と理事長としての社会的責任を追われ無一文に。てんぷらの原理を応用した「油熱乾燥法」の発見、家族総出で商品試作、爆発的人気と量産への道、「特殊栄養食品」の認可、追い風と行動経済成長、カップヌードルの誕生、銀座歩行者天国浅間山荘事件での大反響、カップライスの早期撤退…など。


いや〜スゴい!し、知らなかった…。バリバリのベンチャーだったんだねえ…。勇気づけられるなあ。カップヌードルを食べるときには安藤さんのことを思い出しちゃうねえ。感謝だねえ。オススメです。