逆説の日本史2 古代怨霊編(小学館文庫): 聖徳太子の称号の謎
- 作者: 井沢元彦
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1998/03/01
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BOOK〜『逆説の日本史1 古代黎明編 封印された「倭」の謎』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20130228
この第2巻は、「聖徳太子編−「徳」の諡号と怨霊信仰のメカニズム」「天智天皇編−暗殺説を裏付ける朝鮮半島への軍事介入」「天武天皇と持統女帝編−天皇家の血統と『日本書紀』の作為」「平城京と奈良の大仏編−聖武天皇の後継者問題と大仏建立」は、皆オモシロイのだが、その中でも第一章のエッセンスを紹介しよう。
・聖徳太子という人物が、日本史を語る中で最も重要な人物の一人である。聖徳太子を語ることは、日本の歴史を語ることなのである。聖徳−実に素晴らしい称号である。「聖なる」「徳のある」太、これは、日本史上の偉人の中でも、最も素晴らしく、格調の高い称号だ。もちろん本名ではない。太子はもとは厩戸皇子という名である。「聖徳太子」を呼ばれるようになったのは、太子の死後のことだ。そして、なぜそう呼ばれるようになったのか?これは大きな謎であるのだ。
・太子が小野妹子を随へ派遣した時に持たせた国書は、あまりにも有名だ。「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや云々。」問題は、これがいかにとんでもない手紙かということだ。これはあまり知られていない。〜中略〜
・太子が偉大な人物であることは認める。しかし聖人つまり「聖徳」太子になったのは、彼が怨霊になったからであり、奈良の法隆寺はその怨霊鎮魂のために建てられた、というのである。これは日本史上常に聖人として扱われてきた太子像を完全にひっくり返す、まさにコペルニクス的新設であった。(哲学者梅原猛)
・太子以後の、諡号(しごう)に「徳」の字がある天皇達を調べてみると実は六人しかいない。第36代孝徳天皇、48代称徳、55代文徳、75代崇徳、81代安徳、84代順徳。実は、この六人が六人とも、まともな死に方をしていないのである。事実上殺された人もいれば、島流しにあった人もいる。もしかしたら、「徳」という字を含む諡号は、「不幸な生涯を送り無念の死を遂げた人に贈るものだ」という常識があったからではないか!?つまり「徳」という言葉は、必ずしも「聖なる」「徳のある」ことを示すわけではないということだ。
その他、「なぜ太子は天皇になれなかったのか」「なぜ推古天皇は日本初の女帝となったのか?」「聖徳太子は強度のノイローゼだった!?」「なぜ太子と婦人は一日違いで亡くなったのか?」「なぜ天武天皇の年齢がわかっていないのか」「天武天皇は忍者だった?」「天智天皇と天武天皇は本当に兄弟だったのか?」「中国の伝統的戦略、遠交近攻とは?」「なぜ「天子降臨」ではなく「天孫降臨」なのか」「奈良の大仏は怨霊封じを主目的で造仏された?」など。
目のつけドコロがスゴい。なんちゅう説得力!こんな本が歴史の教科書だったら大好きな教科になったのにねえ。このシリーズ、オススメですよお。