子どもの頃から即席ラーメンといえば「サッポロ一番」。「チャルメラ」も「出前一丁」もあったけど、やっぱりダントツだ。おふくろが作っていたので、これがホントの「袋麺」!(笑)
チキンラーメンの安藤百福はあまりに有名だけど「サッポロ一番」を創った人は知らなかった。その知られざる伝説の人の波乱万丈の人生とは!?そのエッセンスを紹介しよう。
・「東のラーメン王」と称された井田毅がその天寿を全うしたのは2013(平成25)年8月20日だった。83歳。袋麺の王者「サッポロ一番」で一世を風靡した井田毅は、「チキンラーメン」を発明した日清食品の安藤百福と並び称されてきた即席麺業界の両巨頭の一角だ。酒屋から始めて、黎明期のインスタントラーメン(即席麺)業界に身を投じ、「俺の舌は百万ドル」と自他ともに認める天性の味覚を武器に、ロングセラーブランド「サッポロ一番」を世に送り出した。
・61年から即席麺業界に参入したサンヨー食品は、後発としての苦しみにもがきながらも、ついのこの年7月、発の自社ブランド「ピヨピヨラーメン」を世に送り出した。テレビコマーシャルで宣伝した効果もあり、関東地方ではその存在が知られるようになりつつあったが、いまだに地方の中小業者であることに変わりはなかった。10年後、天下を取るとは誰もが想像できなかったに違いない。
・昭和40年代まで、サンヨー食品の商品開発は毅の発案で始まり、毅の主導で味が決められていった。最初の「ピヨピヨラーメン」から始まって「長崎タンメン」「サッポロ一番しょうゆ味」「サッポロ一番みそラーメン」「サッポロ一番塩らーめん」に至るまで、開発者はすべて毅である。
・(札幌ラーメンの味とサッポロ一番の味は違うんじゃないか)「当たり前だろう。あんなに美味しくては、たまにしか食べたくならないよ。何度も食べてもらえないだろう」また、粉末のスープには乾燥ネギを入れる工夫を施したが、これは業界初の試みで70年代になるとこのスタイルが一般化していく。
・「しょうゆ味」と「みそラーメン」では、食感やスープとの相性を考え、麺が異なっていた。「サッポロ一番」は文字通り札幌ラーメンが基本で麺にコシが必要であるというのが先ず基本。中でも「塩らーめん」は普通の麺ではマッチングしない。パン用粉と麺用粉のミックス。しょうゆ、みそ、塩の「サッポロ一番」シリーズすべての麺の原材料、形状が異なっていることは意外に知られていない。麺の断面は「しょうゆ味」が四角、「みそラーメン」は楕円形だが「塩らーめん」は円形。
・毅の経営について「無駄は1円に至るまで切り詰め、ここぞというときにドーンと投資する。その決断力は誰も及ばない」と異口同音に話す。
・「私たちがこの即席麺業界で勝ち抜くには、色々の条件が必要です。その第一は、良い城を持つことです。これは現代では工場設備があてはまります。2つ目は良い社員が必要です。どんな名城でも、守る武士が弱腰ではダメです。3つ目は優秀な指揮官が必要です。いかに社員が良くても、それを指揮する者がボンクラでは社員が右往左往するだけで、たまりません。4つ目は君主は聡明でなければなりません。5つ目は良い兵器です。これがなければ戦には勝てません。現代では良い製品です。すべては製品が勝敗を決します」
「即席麺黎明期」「乱立する即席麺メーカー」「業界初の塩味」「サッポロ一番の誕生」「激しいシェア争い」「アラビアン焼きそば」「カップスターの発売」など。
いまは成熟していいるこの業界にも戦国時代があったんだね。実にオモシロイ。オススメです。(・∀・)♪