「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『幸せの宇宙構造 すべての人が幸せになる方法』(小林正観)

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昨年、亡くなった旅行作家の小林正観さん。(^J^)氏の著作はほとんど読んでいるのだが、心が軽くなるよね。年末を迎えて、久しぶりに正観さんに会いたくて読み返しました。やっぱり奥が深い!そのエッセンスを紹介しよう。


・どんな現象も見方次第。宇宙の現象には「幸」も「不幸」もない。「プラス」も「マイナス」もなく、「成功」も「失敗」もない。「敵」も「味方」、もなく、「勝利」も「敗北」もない。宇宙的には、絶対的なものとしては、それらは何一つ存在していないのです。「そう思う心」があるだけです


「幸せ」という名の宇宙的な現象、絶対的な名称、絶対的な価値を持つ「幸せ」というものは、この世に存在しない、というのが私なりの結論でした。では、存在していないにもかかわらず、「幸せ」という名称が存在しているのはなぜでしょうか?それは「幸せ」という現象が存在するからです。「私」が「幸せ」だと思った瞬間に、その思わせたことが「幸せなこと」になるのです。


私たちは「何もない、普通の生活」が最も「幸せ」なのであり、何か「幸せ」という名の現象を間は、「幸せ」というものを感じ取ることはできないということです。「幸せ」の本質は、「何もない、普通の日々」が淡々と過ぎていくこと。


・お釈迦様の台座の花というのは、蓮の花です。なぜか?蓮の花は、泥水の中からしか立ち上がってきません。泥でなければ立ち上がって来ないのです。真水であったなら、蓮は立ち上がって来ない。泥がどうしても必要なのです。泥とは、人生になぞらえれば、つらいこと、悲しいこと、大変なこと。蓮の花とは、まさに人生の中で花を咲かせること。そしてその花の中に実があるのが「悟り」ということにほかなりません。つらく悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだ、ということをお釈迦様は教えたかったらしいのです。


・私は基本的に唯物論ですが、30年間、宇宙現象や超常現象、いろいろな出来事を見つめてきて、神・仏・守護霊・精霊というものは存在するという結論になりました。さらに、私たちは自分の人生のシナリオを書いて組み立てている、というのも結論の一つです。


・よく考えてみると、私たちは今、目の前にいる人、目の前にあることを大事にするほか、大事にすることはできません。昨日の人を抱きしめることはできないし、明日会う予定の人を今、抱きしめることはできないのです。今、目の前の人を抱きしめること、その人に最大限、自分の笑顔を向けること。「私の」持っている言葉としての贈り物をあげることです。


そうだよね。今の心と書いて、「念」。念を入れて生きていこう。オススメです。(^J^)