「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

プロの流儀 なぜ彼らはスーパースター足りえるのか(義田貴士)

今年のプロ野球セ・リーグでダントツ首位を走る、我が読売ジャイアンツ。(^。^) 原辰徳監督は、東海大相模時代から私のヒーローだ。イチロー松井秀喜長嶋茂雄などこの本では取り上げられているが、やっぱり原さんだな。そのエッセンスを紹介しよう。


原辰徳さんは、いつだって、大きすぎる重圧と闘っていた。背負い込んだ苦悩と、それに耐え、ジャイアンツ愛を貫いた強さ。知れば知るほど、人間の大きさに惹きつけられる。男が惚れる、男の中の男。原さんの生き方は、今でも私のお手本です。


・原さんは、父親が監督を務める甲子園の強豪・東海大相模へと進学し、ジャイアンツへと入団した。まさに親子鷹、まるで星飛雄馬星一徹巨人の星そのままの世界である。


東海大相模に進学したいと言った原さんに、父の貢さんは『よし。だが、他の選手の手前がある。もし東海大相模に入るなら、オレは、他の選手を一発殴るところを、お前には三発殴る。それに起用についても、野球の技術が五分五分ならばお前以外の選手を使う。6:4でも同じだ。7:3で、考えることいする』技術的にはずば抜けていたために、一年生から4番サードでレギュラーを外れることはなかったが、父からの「愛のムチ」は、想像を超えていた。他の選手が一発殴られる場面で三発では済まず、まず、5,6発は殴られた。先輩からも同級生からも、同情されるほどだった。どんなに頑張っても、貢さんからほめられることは一度もなかったという。


・優勝こそならなかったものの、原さんは五回連続で甲子園に出場した。最後の夏の甲子園が終わったとき、貢さんは、原さんの手を握って言ったという。「辰徳、ご苦労さん。辛かっただろう。でも、俺はもっと辛かったよ」そのときのことを原さんは、いまでもはっきり覚えているという。「三年間父に抱き続けた全ての不満、鬱憤、そういう思いがバーっと消えていったんだよ。『そうだったんだ、父さんは、そういう思いで僕に接していたんだ』ってね」


・第一次政権で原監督が掲げたテーマはジャイアンツ愛』だった。「原さんにとって、愛ってなんなんですか?」原さんは、「理解だよ」私は衝撃を受けた。そんな愛の定義は、それまで聞いたことがなかった。ジャイアンツを理解するということ。ジャイアンツが勝つためにどうすればいいかを、一人ひとりが考えること。その愛はときに、自己犠牲すら必要とする。それでもジャイアンツの優勝を一番に考えて行動すること。それが、ジャイアンツ愛の意味だった。


・ファンからサインを求められると、原さんは次の言葉を書く。「夢進」それが、「夢は進む」なのか、「夢を進める」なのか、私には、わからない。ただいずれにしても原さんの夢はこれからも終わることがないのである。原さんの語る愛や夢の意味は重い。だが、その愛を背負う覚悟が、原さんは出来ている。男の中の男。原辰徳戦いは、これからも続いていく。


巨人軍の四番打者の重圧、故障、そして引退、第一次原政権での退団の背景…。壮絶な野球人生だなあ。原さん、かっこいいな!まさに男の中の男だ。今年は日本一だ!義田貴士氏のこの本、オススメです。(^。^)


HUMAN〜若大将のリーダーシップとは?…『原辰徳インタビュー』