「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本史の謎は「地形」で解ける」(竹村公太郎)

早や12月。今年もいろいろな本を読んだけど、この竹村公太郎さんのこのシリーズは、間違いなくベスト3に入るだろう。「歴史に対する固定観念がひっくり返る知的興奮と、ミステリーの謎解きのような快感を同時に味わえる1冊」その第一弾を紹介しよう。


・世界史で多くの文明が誕生し、滅んでいった。米国の国際政治学者の故・サミュエル・ハンチントンは、「世界史で生き残った文明は5つある。欧米文明、イスラム文明、中国文明、インド文明、そして日本文明」としている。これらの文明の中で、一度も侵略されず生き残った文明が日本文明である。


徳川家康が、江戸の町づくりに本格的に着手するのも、関ヶ原の戦いの後である。では1600年までの間、家康は一体何をやっていたのか?この時期、家康は鷹狩りと称して、関東一帯を徹底的に歩き廻っていた。この関東の現地調査で「宝物」を探し求めていた!その宝物とは、日本一広大で、日本一肥沃で、日本一豊富な水がある温暖な「関東平野」であった。しかしこの関東平野は湿地だった。利根川、荒川が流れ込み、水はけが悪く、雨のたびに浸水する劣悪な土地である。しかし、この利根川を遠くへバイパスさせ、水はけさえ良くすれば、ここは肥沃な水田地帯となるー。宝物は発見したが、やらねばならないことがあった。広大な湿地帯を乾いた土地にするという、日本史上に例のない大規模な大地改変の課題が立ち塞がっていた。


その他、

◎なぜ京都が都になったか──都市繁栄の絶対条件

元寇が失敗に終わった本当の理由とは何か──日本の危機を救った「泥の土地」

◎なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか──地形が示すその本当の理由

関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか──巨大な敵とのもう一つの戦い

赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか──徳川幕府百年の復讐

◎四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬されたかー泉岳寺を創建した者

◎なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したかー徳川幕府の100年かかった復習劇

◎なぜ吉原遊郭は移転したのか──ある江戸治水物語

◎実質的な最後の「征夷大将軍」は誰かー最後の「狩猟する人々」

半蔵門は本当に裏門だったのかー半蔵門からお出になった天皇陛下

◎なぜ京都が都になったのかー文明の中心は「交流」

◎日本文明を生んだ奈良はなぜ衰退したかー交流軸と都市の盛衰

◎なぜ大阪には緑の空間が少ないかー権力者の町と庶民の町

◎脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となったのかー漂流する人々の終の棲家

◎なぜ江戸無血開城が実現したか──船が形成した日本人の一体感「地形」を見直すと、まったく新しい歴史が見えてくる!


「江戸は手に負えないほど劣悪で、希望のない土地だった?」のは以外だったねー。やっぱり徳川家康は今でいう国土交通大臣だったんだね。歴史の教科書にしたい本。超オススメです。(・∀・)