「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『田中角栄 その巨善と巨悪』(水木楊)

田中角栄―その巨善と巨悪 (文春文庫)

田中角栄―その巨善と巨悪 (文春文庫)

我が故郷、新潟県が生んだ天才。戦後日本の光と影を象徴する政治家、田中角栄。(^。^)

この本は田中角栄の評伝なのだが、じっくりと読んだ。読まなければならなかった。

比類のない、強烈な磁力を放射した人物だった。その業績は赫々たるものであり、歴史はその価値までを否定できない。しかし、日本の社会をゆがめもした。スケール大きく生きた、毀誉褒貶相半ばの男。善と背中合わせの悪、悪と共存する善、それが田中角栄という物語である」そのエッセンスを紹介しよう。


・「みなさん、新潟県群馬県の境に三国峠があるでしょ。あれをダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。そうしますと、日本海季節風は太平洋側に吹き抜けて越後に雪は降らなくなる。みんな雪で苦しむこともなくなる。出てきた土砂は日本海に運んでいって埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります」人々は笑い転げて拍手をした。雪が止んでも、当時は除雪車はない。自動車はない。冬はバスも通らない。幅50センチほどの道をせかせかとただ歩く。村落に入ればメガホンで、田中角栄が参りました。よろしくお願いいたします」と大声を張り上げる。選挙は雪のときにやるに限る、というのがいい以来田中の信条となる。


・田中は三国峠を吹き飛ばしはしなかったが、谷川連峰の下をぶち抜く世界最大の山岳トンネル・清水トンネルを貫通させ、上越新幹線を建設して日本海側と太平洋側の時間的距離を大幅に縮めた。東京から故郷近くの柏崎までいまは二時間余りで行けるが、新幹線開通以前はゆうに八時間はかかった。高速道路の関越自動車道にいたってはそれまでとは比べるもののない便利さである。


・昭和32年、史上最年少の郵政大臣になった田中は、歴代大臣が手こずったテレビ放送の免許問題を大量予備免許を与えて一気に解決、各県にひとつずつテレビ局が生まれ、世はテレビ時代を迎えた。大蔵大臣になると信用不安の嵐にさらされた山一証券日本銀行の特別融資を電光石火決めた。通産大臣にはこじれにこじれた日米繊維交渉をまとめ上げた。総理大臣として官邸に入るや否や自民党内の強い反対を押し切って中国に飛び、日中国交回復を実現した。田中の業績は赫々たるものがある。しかし、田中は日本の社会をゆがめもした。いや、正確に言うなら田中という政治家に社会のゆがみが影を映し、田中はそれを拡大した。田中が金目当てに議員立法を手がけたといえば事実に反するが、公共事業はいつの間にか聖域化し利権の巣になった。巨額な公共事業をい発注する側と受注する側と政治家が仲介し、闇の資金が政治家に流れた。その流れを作ったのが田中自身であったのはまぎれもない事実である。


スケール大きく生きた、毀誉褒貶(きよほうへん)半ばの男。前と背中合わせの悪。悪と共存する善。巨善と巨悪。これからはじめようというのは、小学校卒の学歴で峠を超えて中央に突入し、遂には永田町を平定して国家最高権力を握るに至った、型破りな男の、破天荒な人生の物語である。


・田中はその勤勉さを母から受け継ぎ、総理になってからも夜九時には床につくが十二時頃には起き出し、二時三時まで資料や文書、選挙のデータなどを一心に読みふけった。


新潟県は今日でも進学率の低い県で、平成七年度の大学進学率は27.7%で全国で43位。全国で最下位の年も過去にはあった。彼は学歴主義を不公平とみなしたのではないか。能力、胆力ともに優れた人間が低学歴というだけで軽んじられる。そんなことがあっていいのか。この思いが彼の猛烈なエネルギーの源泉にもなった。


・長い間事業経営に携わっていた田中のやるこことは具体的だった。民自党に属する議員の生年月日、学歴、家族構成、人脈、資金力、選挙区の人口構成、有権者数、支持率、はてはその地区の産業構造、所得水準まで調べ上げる。敵方の政党の政治家についても同じことをやった。その上でどこを攻めれば相手方の陣営を崩せるか民自党の代議士に教える。


田中は、一言で言うなら「貧しさからの脱却」を目指す政治家である。田中自身もまた貧しさから抜け出すために血みどろの努力をしてきた男である。寒村の農民たちも理屈よりも先にまず「明日の飯」を渇望してきた。新潟県は当時は裏日本などと呼ばれ、一年の三分の一を雪で閉ざされた恵まれない地域として知られていた。県民もまた太平洋側との格差をひしひしと感じていた。いや、敗戦の爪痕を深く残す日本にとっても最大の課題は貧しさからの脱却ではなかったか。経済中心主義。実利を尊ぶ。これが田中の政治を貫くキーワードである。


新潟県人には鬱積したものがあり、追いつめられた状態で武器を持たせると狂気のような行動に突入するというのだ。新潟県人には宗教家や革命家が多い。合理的に物事を考えるより、情念に生き、ときに非合理の世界に自身を燃焼させ爆発させていくところがある。追い詰められた田中が手にしていた武器とは何か。それは数であり、数を実現する金だった。数は力なり。田中は数の獲得に異常なほどの執念を燃やした。


ロッキード事件の検事を務めた堀田力の言葉。「良い意味でも、悪い意味でも、きわめて日本的な政治家でした。善悪双方において比類なく傑出した人物だったと思いいます。頭もいい。理解力に優れている。それに人の気持ちをつかむ感性にも優れている。右脳も左脳も日本的に発達した人でした。」田中は、私たち日本人が大なり小なり内に持っている良い部分、悪い部分の拡大鏡だった。だから、自らが日本人であることを全面的に否定でもしない限り。好むと好まざるとにかかわらず、善悪の次元を超えて、田中角栄は私たちの中にいまも棲んでいるのである。


スゴイ。一言では語れない魅力だ。田中角栄をもっと知りたくなった。オススメです。(^。^)