- 作者: 大山康晴
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2009/01/20
- メディア: 単行本
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中で尊敬申し上げるのが、大山 康晴十五世名人。公式タイトル獲得80期(歴代1位)、棋戦優勝44回(歴代1位)、通算1433勝。そして十五世名人、および、永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将という、5つの永世称号を保持。つまり野球界でいうと王貞治氏やイチローのようなスーパースターなのだ。
現代のスーパースター、羽生善治二冠王も推薦。「勝負の世界に必要不可欠なものがここにある」勝ち続けるための極意を説いた永遠の名著。 そのツボとコツを紹介しよう。
・プロ棋士として四十年を生きてきた。その四十年は決して平坦ではない。いくどかプロ棋士をやめようかと悩んだこともある。転んでは起き上がり、転んでは起き上がりの繰り返しであった。
・逆転劇を演ずるには、いろいろの理由がある。もう絶対に勝ちだ、と喜びに胸をふくらませた瞬間、人間には油断が生じる。こちらは必死である。その差が、いつしか形勢の開きを縮めている。だれしも人間は、自惚れを持つ。私も、気持のゆるみから勝ちを逸した辛い経験がある。辛い経験があるだけに、最後まで勝ちをあきらめない。いつしか、習性みたいになっている。
・芸を盗むといっては語弊があるが、プロは入門の日から師匠や先輩の生活の中から何かを学び取る。自分で学び、自分で鍛えてゆく。それが、プロの修行というものである。私は九年三ヶ月に及ぶ内弟子生活を送るうち、木見金治郎先生には一番も指してもらえなかった。
・木見先生のことば。「将棋は二人で指すものだ。相手が考えているとき、じっと待つことが必要なのだよ。こちらがイライラしては負ける。なんの苦痛も抵抗もなく、自然の姿で待てるようにならないといけない。将棋というのは、心の上に築くものだよ。落ち着きが肝心だ。そのために、待つ訓練をさせていたのだよ」
・修行というのは、苦しいのは当然である。それが当たり前だという考えでやってきた。だから、八段になるまでは、苦しいとか、いやだと思うことはなかった。むしろ、この道に入って苦しい思いをしたのは名人になってからである。トップに立てば、ひとたび盤の前に座れば、すべてが敵である。そうなれば、頼りになるのは自分だけであり、そうした自分に、いかに打ち克っていくかが最大の難関であった。のちにわかったことだが、勝ち負けにとらわれず、どうすればベストをつくせるかという気持ちで盤に向かったほうが内容のいい将棋が指せている。
・勝負の場で、いつも私は自分の力を過信することを警戒してきた。人生には、順調なときも不調なときもある。不調に襲われ、大事な勝負に敗れて苦しんだことは数知れない。そんなときでも、敗因がわかれば過去はさっぱりと切り捨て、新しい気持ちで立ち上がることをモットーとしてきた。何事であれ順調なときの方が危険が多い。
・芸の道というのは、自己満足し、安心したときに、その人の進歩は止まってしまう。棋士の場合も五段になってよかったと安心する人は、見たところ、五、六段で止まっている。八段までいって満足した人は、八段で止まってしまう。
・私は、勝負師に絶対必要な条件というのは二つあると思う。一つは、物事に集中できる人。もう一つは、さっと忘れることができる楽天家であること。決して矛盾したことではなく、まさに表裏一体の脂質である。
・将棋というのは、第一手から終局の手まで、糸でつながるようにつながっている。将棋というは、別の言い方をすれば、思考線の連続である。
・プロの場合、「読む」とういのは、切り捨てることである。だから強くなるコツは、頭に浮かんだ手をいかにうまく整理して切り捨てるかということにある。無駄なことを切り捨て、大事なものを残す。その残し方が大切である。
・私たちも、内弟子修行の頃は。道場のお客が帰ってから駒を磨き上げるのが毎日の務めであった。駒を一枚一枚、乾いた布で磨いて汚れをとる。一組が四十枚で、それが十組もあるのだから、駒を磨くといっても大変な仕事である。それが将棋の修行に結びつく。私は将棋を勉強しようとする人には、まず、いい道具を持ちなさいと勧めるようにしている。いい道具を持てば、大事にするのが人情である。誰にいわれなくても駒を磨くようになることだろう。その気持ちが大切だと思う。駒や盤を大事にすることで、いま指し終わった将棋の印象が、いつもより多く残ることであろう。その一つ一つの積み上げが、将棋に対する知識を深めていくし、そこから視野も開けてくる。
・何が私に名人位をつづけさせたのであろうか。まず第一に、少年時代の基礎教育が役立っている。小学校一年生から六年生までのあいだに、将棋の本を千ページ暗記した。正座することは棋士の基本姿勢だというので、座る訓練をした。少年期から青年期、それから大人と成長するころが、戦中戦後の苦しい時代であって、横道にそれることがなかった。それも私には幸いしている。
・真理というのは、存外と平凡なものである。平凡なもののなかに真理があるというべきか。日ごろの積み重ねが、勝負の場で自分の能力を出し切れるエネルギーとなる。勝負に勝つ秘訣は日常心にある。私はそう信じている。
・記録は作るものではない。一つ一つ積み重ねていくものである。それが私の実感である。
・将棋の技術は、五段くらいになれば、八段や名人とくらべても大差はない。知っていることは同じである。なぜ、段差ができるか。盤に臨んで持てる力をどれだけ出し切れるかが、一つの物差しとなる。さらに大事なことは、過去のデータにばかり頼らず、いかにして新味を打ち出していくか。創意工夫が、その棋士をどんどん成長させていくものである。プロの高段者が将棋を指すというのは、新しい将棋を創ることである。高段騎士は、技術の差はまずないといっていい。差が出るのは、新しい技術を創り出す熱意があるかどうか、にかかっている。
すごい!正にトップ3パーセントの珠玉の言葉だ。名著だ。オススメです。(^O^☆♪