「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「東海の鬼 花村元司伝」(鈴木啓志著・森下卓推薦)


東海の鬼 花村元司伝


将棋や棋士が好きだ。次に生まれ変わったら棋士になりたい。(・∀・)


マチュアから命がけのプロ編入試験を受験して真剣師からプロに転身した唯一の棋士「東海の鬼」花村元司。本書では、60歳でA級に昇級するなど輝かしい実績を挙げた生涯に迫るほか、花村のトレードマークともいえるあっと驚く数々の鬼手・名手を紹介し、弟子の 森下卓九段、深浦康市九段が現代の目で厳しく見直して詳しく論じる。花村将棋を通して、昭和と現代の将棋観の違いも浮き彫りにする。そのエッセンスを紹介しよう。


マチュアからいきなりプロ入りした棋士は彼しかいない。その後もプロ入りを取り沙汰されたアマ強豪はいなくもなかったが、プロ試験となると例の瀬川晶司四段まで例がない。いや瀬川四段の場合はプロ棋士養成機関の奨励会を長く経験しているので、純粋に在野の棋士とは言いがたい。そのほとんど不可能と思えることをやり遂げたのが花村という棋士であった


・彼の人生哲学の中で良く知られたものに、自分が受けたものの三割は戻すというものがある。恐らくこれは長い間真剣師としてやってきて培われたものに違いない。つまり大勝負をした時にはまず胴元にいくらか戻す。さらに彼に乗ってくれた人にいくらかお礼するそれが三割くらいだったのだろう。いつしかそれが彼の人生哲学になっていた。プロになり、真剣師稼業から足を洗ってからも、彼はそれを実践していた。


・多くの将棋ファンからすれば、結局のところこうした生きざまを貫いていた花村が一階のアマからプロ入りし、なぜあれほど強くなったのか。最大の疑問はそこに行き着くだろう。当時からそれは謎とされていた。プロの間でさえ、花村の将棋は所詮素人の将棋であり、トップまでは行けないという空気があった。その強さを肌で感じていたのは塚田、升田、大山といった主にタイトルを争った棋士だったろう。花村はまさに実践将棋だった。


内弟子を経験した弟子たちも「師匠が家で将棋の勉強をしているのは見たことがない」と口を揃える。「その代わり、競輪の勉強はものすごくしていた」とある弟子は苦笑する。普通はほとんど知られていないB級競輪選手のことも詳しく知っていたというのだ。


・むろん真剣師の頃や低段の頃は将棋の勉強もしたのだろう。だがそれも棋譜並べや詰将棋を解くといったものではなく、専ら実践だった。恐らく彼は実践を通じて戦法も、序盤の作り方も、中終盤の指し方もすべて学んでいたのだろう。彼は実践でポイントをつかむのが抜群にうまかったに違いない。米長永世棋聖は花村の特質として「60を過ぎても常に頭が柔らかかった」ことを挙げる。この柔軟性こそ花村将棋の武器ではなかったか。


・彼の頭の柔らかさを示している一番の出来事は60歳でA級に復帰したという事実だろう。これがいかに困難であるかは今までの歴史が証明している。中原、米長の両巨匠は60歳台を前にしてA級の厚い壁に跳ね返された。大山名人を別格にすれば、61歳でなおA級に留まったのは塚田正夫、有吉道夫、加藤一二三の各九段くらいしかいない。A級を維持することも難しいが、B級1組から抜けることはさらに難しい。花村はそれを何と60歳という年齢で果たしたのだ。現在に至るまで、全リーグを通じての昇級の最高齢ということがその難しさを象徴している。


ああ〜将棋がやりたいー!将棋ファン必読!オススメです!(・∀・)



東海の鬼 花村元司伝