「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『だから、僕は学校へ行く!』(乙武洋匡)

だから、僕は学校へ行く! (講談社文庫)

だから、僕は学校へ行く! (講談社文庫)

ベストセラー五体不満足乙武洋匡氏。(^。^) 2年間、東京都新宿区の「子どもの生き方パートナー」として活動を続け、2007年4月から杉並区立杉並第四小学校の先生になった。そのために大学に通い教員免許を取得し、教育実習も体験した。


氏は、なぜ教育に携わるようになったのか?なぜ小学校の先生になったのか? そのエッセンスを紹介しよう。



・僕には生まれつき手と足がない。だが、とくに卑屈になることもなく、楽しい学校生活を送ってきた。社会にでたいまも、おかげさまで充実した日々を過ごしている。そうした様子を、人々は「明るく、前向きだ」と評価してくださるのだろう。だが、いまの自分は決して一人で築き上げたものではない。両親や学校の先生方、地域の人々が、ありのままの僕を受け入れ、そして正しい厳しさをもって接してくれたからこそ、障害にとらわれることのない、豊かな人生を歩むことができているのだ


・西戸山小学校で。先生が、「地域の人たちにも。きちんとごあいさつしましょう」と注意すると、子どもたちは困ったような顔で、こう言うのだそうだ。「だって、知らないオジサン、オバサンとは、やたら口きいちゃいけないんでしょ?」時代の違いというひと言では片付けることできない宣誓パンチを僕はいきなりもらって帰ることとなった。どうやら刺激的な一年なりそうだ。


・日本一の繁華街ともいわれる歌舞伎町近くの大久保小には、なんと十三カ国もの子どもたちが通っているのだ。さらに驚いたことに、両親または親のどちらかが外国人という子どもの数は、全校児童数の約六割にも及ぶ


・個性を伸ばす―。それがいかに大切なことか、誰もが頭ではわかっている。しかし、それがいざ自分の子どものこととなると、「みんなと違う」ことが、不安で不安で仕方なくなってしまうのだ。


・僕は、真正面から向き合ってくれる先生方に恵まれ、幼少期を過ごすことができた。高木悦男先生もその一人だ。入学当初、電動車椅子を得意げに乗り回す僕に、高木先生は「先生が許可しないかぎり、学校のなかで車椅子に乗ってはいけないよ」と言い渡した。朝礼。そして体育の時間。教室から校庭まで、僕はお尻を引きずるようにして歩いていくしかなくなった。冬ともなれば、地面の冷たさが尻からじかに伝わってくる。「いまだけ彼を甘やかすことなら、いくらでもできる。でも、それが本当に彼のためなるんだろうか」そんな厳しい先生だった。


・いちばんつらかったのは、水泳指導の時間だった。先生は僕をおかまいなしにプールに入れ続けた。僕を抱きかかえるようにすいてプールに入ったのだ。ほら、手を離すぞ。いいか、いくぞ!「え、え、ダメ……うわ、うえっぷ」卒業後、先生の口からその特訓の理由を聞かされた。「もしもね…乙武君が水の事故に遭っても、自分では泳げないでしょ。だから、せめて誰かが救助に駆けつけるまで、自力で浮いていられるようにおきたかった。何とかその能力を身につけてほしくて、毎日、毎日、練習したんだよ」そんな厳しくもあたたかな指導のおかげで僕の生活はずいぶんと幅が広がった。長い距離を一人で歩けるにもなったし、階段の昇降もできるようになった。先生は、そのときの僕とだけではなく「将来の僕」とも、しっかり向き合ってくれていたのだ。


・僕がいちばん子どもたちに伝えたい「それぞれ、違っていていいんだよ」というメッセージ。このことを伝えるのに、あきらかに他人とは違う形で生まれてきた僕のからだ、そして僕の生き方は、何よりの教材になると思っている。ウチの先生はからだが不自由でできないこともたくさんあるけど、ウチの先生からでないと学べないこともたくさんある―そんな教師になりたい。いや、ならなければならない。


「教育はね…最後は人柄、人間性だから」高木先生は、そんなこともすべて身とした上で、言葉をかけてくださったのだと思う。



その他「体罰が許されない理由」、「子どもを抱きしめてやれない学校」、「奇妙なまでの平等主義」などは、いまの教育現場を知る上でとても仕入れになった。オススメです。(^。^)