- 作者: 五木寛之
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2011/08/05
- メディア: 単行本
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さて、生と死を身近に生きてきた五木寛之氏と小川洋子、瀬戸内寂聴、横尾忠則、多田富雄らとの「死」についての対談集。そのエッセンスを紹介しよう。
【五木寛之】
私は昔からずっとこう考えていました。医療は人間を苦しみから解放するというのが最後の目的ではないかと。でも現実は、そうではなくて、今あるその病気に対処する。それが至上命題になっているような感じがして、見るに見かねて、途中でスイッチを切ってしまったんです。病院は苦しみから解放す場所であることを改めて真剣に考えなければいけない時期にさしかかっているんじゃないか。ひとつは生理的な苦しみからの解放。もうひとつは、死に対する人間の不安、恐れからどう自由になっていくか。
いま、改めて死に関して対話をしたり、論じ合ったりしているのは、死がむこうにある生の終点ではなくて、自分たちが日常、とも生きている中に既に含まれている隣人としての死、そして、死ぬことによって明らかになってくる生を別々に切り離して考えることはできない、とうところに立ち至っているからではないかと思うんです。
【小川洋子】
子供が生まれてすぐ泣くのは、これから自分に与えられる苦しみを悲しん泣くのだとよくいわれますが、私もそう感じました。生まれるということは喜びばかりではない。すでに死を含んだ生をここに自分は授けられている。生命の誕生は決して死と無縁ではない、人間が宿命的に背負わされている、死にまつわる、せつなさのようなものを、赤ん坊の産声は表現しているな、と思いました。
赤ん坊が生まれると授乳室で、同じごろに赤ちゃんを産んだ人たちとおっぱいをやるんですけれど、その中のひとりの方が、授乳しながら泣いているんですよね。それは具体的に悲しいことがあったとかいうのではなくて、自然に涙がこぼれているんです。しかもそれは子供がお乳をふくんでくれて嬉しいという涙とまた種類がちがう。
赤ん坊という生命の源を抱いている、一種のおそれみたいなものを本能的に女性は感じる瞬間が必ずあると思うんです。人間が生まれることは、そんなに単純なものじゃない。生命が持っている、底知れない深みに手を浸すような経験だなと思いました。
【瀬戸内寂聴】
ほんと親しかった方、縁が深かった方、そういう方が、もうぽろぽろ亡くなっていくんですよ。これがやっぱ、ああ、歳をとるということかなあ、と思いますね。ところが、不思議なことに私、そうい方々を見送って感じることですけどね、亡くなってからのほうが、なんかこう、この辺にいつもいるような気がするの。そんなこと、ありません?いつも一緒にいるような、体の中にはいっているような、そんな気がして、私は寂しくないの。
私のおばが、おじが亡くなったとき寂聴さんと同じことをいっていたっけ。
ここでは書けなかったけど、多田富雄さんの免疫の話がとても深イイ。また別の本で紹介しますね。オススメです。(^。^)