「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『電車でいける 江戸を訪ねる東京のんびり散歩』

街歩きが大好き。(^J^) 時間があれば「ひとりぶらり途中下車の旅をしている。将来は、テレビの街歩きリポーターをやりたい!


さて、この本の著者、小林一郎氏は、明治大学の先輩。江戸城周辺、浅草、隅田川、両国、深川や、街道沿いの宿場町など江戸情緒たっぷりの東京をすべて紹介。そのエッセンスを紹介しよう。(^O^)


徳川家康が関東の一漁村に入城したのが、いまから400年ほど前。そののち、山を切り崩したり、川を掘ったり、水道を通したりーと都市開発を強力に推し進め、世界にもまれな巨大な人口を抱える巨大都市をつくりだした。時代は江戸から明治へ、さらにいくつかの時代を経て、地形も、町並みも大きくかわっている。平成の時代に残る「江戸」を探しながら散策してみよう。いずれも半日ほどで江戸情緒が味わえる。


・東京で一番高い山は、雲取山。これは2000メートル級の高さがある。では東京で一番低い山は、もちろん(?)愛宕山である。高さは、25メートルほど。実は二十三区内ではもっとも高い山。しかも天然物だ。ここであえて自然の山というのは、実は新宿・戸山の箱根山はなんと44メートルもあるからだ。ただし、こちらは人工の山のため、除外。

日本橋蛎殻町とは旧日本橋区。戦後、日本橋区京橋区を合併させ、新たに中央区を立ち上げる際、日本橋という名が消えることに反対する住民を納得させるため、各町名に日本橋と冠をつけたといわれている。これは麹町区と合併となった神田区も同様で、町名に神田の冠がつけられ、江戸からの呼称が残されている


江戸幕府中興の祖・八代将軍・吉宗の時代、わが国にゾウがいた。これは、中国人貿易商がつがいの象を将軍に献上したものだ。象は、1728年、ベトナムから船で運ばれ、長崎から江戸まで歩かされた。途中、京都で天皇の上覧を受ける。ところが、象といえども高位の身分がなければお目通り願うわけにはいかない。そこで、この象に「広南従四位白象」の官位が与えられ、お目通りが願った。わが国の形式的な官僚制は、すでにこのころ成熟段階にあったのだ。

江戸では、浜離宮で育てられたが、人身事故が発生したほか、食事の量も想像以上。このため、幕府が象舎を造って贈呈する、と民間に払い下げられた。この象舎が東京メトロ中野坂上駅」ちかくの朝日ヶ丘児童館と公園がある。このあたりが300年近く前、象舎があったところだ。象饅頭のほか、さまざまな関連商品も販売され1742年に病死するまで、見物人に賑わったと伝えられている。


まだ、愛宕山は登ってないなー!この本をもってぶらり街歩きしよう!おススメ!(^^♪