「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「「六本木」には木が6本あったのか?」(谷川彰英)

  


「六本木」には木が6本あったのか? 素朴な疑問でたどる東京地名ミステリー (朝日新書)


将来の夢のひとつにぶらり途中下車の旅のリポーターをやりたい、というのがある。「テルさんぽ」でもいい。「秘密のケンミンSHOW」にも出たいっ!というくらい街歩きや地理ネタが大好きっ!(・∀・)


さてこの本。タイトルがいいね!(・∀・)イイネ!!「六本木には、実は地名の由来になった松の木がある?まことしやかに語り継がれる地名の由来は真実か。「青山に青い山はあるのか?」「四ッ谷に4つ谷はあるのか?」など、実際に行って確かめた「最新」でありなおかつ"最深"の地名情報」そのエッセンスを紹介しよう。


「「東京」は「とうけい」と呼ばれていた?」


→「東京」と「八王子」を結ぶから京王線、「東京」と「成田」を結ぶから「京成線」。でもその「京」はなぜか「ケイ」と読んでいる。本来京王線」「京成線」は「きょうおう線」「きょうせい線」でもよかったはず。ところが同じように「東京」と書いて「とうけい」と呼ばれたことがあった。


京浜急行線」「京浜東北線」「京葉線」「埼京線」は、最新の「埼京線」を除いてすべて「京」を「ケイ」と読んでいる。あまりにも慣れ親しんでしまっているために、このことを誰も不思議に思わないが、よく考えてみれば不思議な話である。なぜ「京」を「ケイ」と読んでいるのだろうか?実は「京都」を「キョウト」と読んだことの方が例外に近いのだ。


歴史学者小木新造「東亰(とうけい)庶民生活史研究」がある。その視点は、明治の前半を「東亰時代」と位置づけるところにある。江戸から東京への移行はすんなり運んだものではなく「東京」にしても「東亰」も使われており、さらに読み方も「東京(とうきょう)」「東京(とうけい)」「東亰(とうけい)」「東亰(とうきょう)」の4種類あったという。このような事実を見ると、明治時代中期までは「東京」を「とうけい」と読んでいたケースが見られ、「東京」=「とうきょう」ではなかったということになる。このような歴史があったために「京成線」「京浜東北線」「京王線」の「京」を「ケイ」と呼ぶことになったのではないか。これは「東京」の隠された歴史である。



「「六本木」には木が六本あったのか?」


→「六大名説」=麻布のこの変に上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳という6つの大名や好きがあり、そのそれぞれに「木」が関係している?


その他、「「新宿」の「新しい宿場」はどこの合ったのか?」「「渋谷」は「渋い谷」のことなのか?」「「青山」の「青い山」はどこにあるのか?」「「御茶ノ水」という町名がないのになぜ「御茶ノ水」?」「日本に虎は生息していないのに、なぜ「虎ノ門」?」「「目黒」「目白」は誰の目のことなのか?」「王子の「飛鳥山」はなぜ桜の名所になったのか?」「“いもあらい”坂では芋を洗ったのか?」「「錦糸町」の錦糸は“禁止”から、は本当か?」「「日本橋」は「二本橋」だった?」「「秋葉原」はなぜ「アキバハラ」でなく「アキハバラ」と読むのか?」「「馬場」がないのに、なぜ「高田馬場駅」?」など。


いや〜実にオモシロイ!谷川彰英センセイの本、全作品読もう!オススメです。(・∀・)


  


「六本木」には木が6本あったのか? 素朴な疑問でたどる東京地名ミステリー (朝日新書)