「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『デパートを発明した夫婦』(鹿島茂)

デパートを発明した夫婦 (講談社現代新書)

デパートを発明した夫婦 (講談社現代新書)

この本は驚いた!びっくりした!実は、商業の天才によって、「デパート」は発明されたのだ!(・_・) そしてものを買うというもっとも人間的な行為を180度変えてしまったのだ!知ってた?


それは19世紀半ば、パリに産声をあげた、世界初のデパートであり世界最大の大型小売店「ボン・マルシェ」。衝動買いを誘うウィンドウ・ディスプレイ。演奏会、バーゲンなど集客戦術。「必要」から「欲望」へと、消費のキーワードを一変させた天才商人、アリスティッド・ブシコーとその夫人マルグリットの足跡を追う力作!「ボン・マルシェ」大躍進の秘訣はどこにあったのか?そのエッセンスを紹介しよう。



・ブシコーは、入店自由、定価明示、現金販売、返品可などの販売の方法をさらに徹底させたほかに、薄利多売方式を強力に推し進めた。


年間大売出しのラインアップ、目玉商品による客集めの基本コンセプトはすでにこの時代に確立されていた。


・デパートにとって、同じ客に何度も足を運んでもらうようにすることこそが、もっとも大切な財産である以上、たとえ、返品による損害が出ても、それと信頼を秤にかければ、客の信頼を得ることのほうがはるかに重い。つまり長い目で見れば、その方が儲かると判断したのである。


・薄利多売方式、バーゲン・セール、テーマを絞った大売出し、目玉商品、返品可という販売方法は、すべて、ひとつの大きな原則に基づいていた。すなわち、多種類の商品が多量に売れるということである。それは、多種類の商品を多量にならべておくことのできるスペース、すなわち巨大な店舗である。


消費者が、とくに何を買うという目的がなくとも、無料のスペクタクルを見物するような軽い気持ちで、ボン・マルシェにやってくる。まるでディズニーランドにでもいくような、胸のわくわくするファンタスティックな体験となり、買い物は必要を満たすための行為ではなく、自分もスペクタクルに参加していることを確認する証しとなる。消費者は、スペース・マウンテンやキャプテンEOに行列するような浮かれた気分で、絹織物やマントを買う。それが必要だからというのではなく、それがそこに陳列されいているからという理由で


・ボン・マルシェは、アッパーミドルに憧れる中産階級に理想のライフ・スタイルを教える教師、あるいは学校おn役割を果たしていたわけだが、その際、教科書として使われていたのが、多量にばらまいていた広告ビラ、パンフレット、手帳、カタログの類であることはいうまでもない。


「お買いものなさらなくても、ご覧になっていただくだけでけっこうです。ついでの折にぜひお立ち寄りください」結局のところ、ボン・マルシェの集客原則は、たとて買う気がない客でも、とにかく店に呼んでしまえという、こうした原則に基づいていたが。


読書室、そこで新聞や雑誌を読んだり、備え付けの便せんで手紙を書いたりすることができるようになっていた。買い物に疲れた女性客が休憩をしたり、あるいは連れ(夫や母親)や子供を待たせておくのに使われていた。


1873年、ブシコーは、従業員の情操教育も兼ねて、閉店後の大ホールでクラシック・コンサートを行うことを思いついた。といってもそのオーケストラはすべてボン・マルシェの従業員のミュージシャンからなっていた。まだレコードのない時代である。


無料のビュッフェを作って、冷たい飲み物をサービスするという画期的なアイデアで店の滞留時間を延ばし消費を刺激した。


カタログによる通信販。モダン・エイジのライフ・スタイルを教えてくれる教科書、つまり「ポパイ」や「hanako」の元祖として、準アッパー・ミドルの階級の者たちに最も熱心に読まれていたマガジンだったのである。


・ボン・マルシェが他のデパートと異なっていた最大の特徴は、それぞれの売り場がボン・マルシェとう連邦を構成する共和国のように完全に独立した機能を持っていたことである。売り場には一人ずつ売り場主任が置かれ、仕入れ、販売の両面で別個の店舗のように、すべてを取り仕切っていた。極端にいえば、36の業種の違う専門店が入っていたということである。


・ボン・マルシェは上は取締役から下は平の店員まで、すべて固定給プラス歩合給の給与システムを採用していた。大きく躍進した原動力は、薄利多売方式とならんで、この歩合給システムにあったと言っても決して言い過ぎではない。


・ブシコーの考えでは、同じ客に何度もボン・マルシェに足を運んでもらうことが何よりも必要であるから、店員が客に不愉快な思いをさせることはなとしてもさけなければならなかったのである。それまでの「売ってやる」という態度は通用しなくなったから、いかにして客に買う気を起させるかという、いわばプロの販売技術のようなものを身につけた店員が必要になる。そうなると、初めから即戦力となる経験者を雇わなければならないので、他のデパートで何年か経験を積んだ者以外は雇わなかった。


・新館の四階に設置された社員食堂はそのコンセプトの目新しさもさることながら、すべて無料という画期的な特徴を持っていた。


・近代資本主義社会にあたえたもうひとつの大きなインパクト、それは会社自身による社会保障制度の確立である。


・ボン・マルシェを合資会社に変え、株式を無償あるいは有償で、できる限り多くの社員にわけてやったのです。


・近代という時代を作り出すのにあずかって力あった数多くの発明発見の中で、商業の天才ブシコーによっておこなわれたデパートという発明は、ものを買うというもっとも人間的な行為を180度転倒してしまったという…で、まさに革命的な意味を持っている。すなわち、デパートにひとたび足を踏み入れた買い物客は、必要によって買うのではなく、その場で初めて必要を見出すようになったのである。
ブシコーが真に偉大だったのは、商業とは「商品による消費者の教育」であるとみなしていたことである。デパートという「制度」は、アリスティッド・ブシコーという一人の天才によって、「発明」されたのである。


いや〜!すごい!日本では黒船来航の前年にすでにデパートがあったなんてオドロキじゃない?しかも今のデパートよりも進んでいたかも!?美栗仰天フル回転の一冊。文句なしにオモシロイ。オススメです。(^u^)