「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『駅名で読む 江戸・東京』(大石学)

駅名で読む江戸・東京 (PHP新書)

駅名で読む江戸・東京 (PHP新書)

私が住む街の京浜急行金沢文庫駅。ジモトでは、「文庫」と呼ぶ。(^J^) 変わった駅名の由来は、鎌倉中期の武将、北条実時が建設した武家の文庫というところからきている。…と、いうように鉄道雑学が好きな私。この本も面白かった。


BOOK〜『鉄ちゃん鉄子の面白すぎる鉄道雑学の旅』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20101227



この本は、江戸東京400年を振り返り、東京都内のJR、私鉄、地下鉄の駅名の由来や地域に関わる事件、物語を文献・史料に基づき丹念に拾い集めているのだ。そのエッセンスを紹介しよう。


【後楽園】


「後楽園」という名は、水戸光圀に招かれていた中国明(みん)の儒学者朱舜水(しゅしゅんすい)の意見を取り入れたもので、中国宋の学者范文正著「岳陽楼記」の中にある「土はまさに天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という語に基づいている。これは、「上に立つ者は憂うべきことがあれば、世の中のだれもまだ気のつかないうちい、これを憂い、また楽しむべきことがあれば、まずすべての人を楽しませて、自分は最後に楽しむ」という意味である。


【亀有】


中世までは、「かめなし」という地名であった。なぜ、「かめなし」なのか理由は定かではないが応永五年(1398年)の「葛西御厨注文」には、「亀無」や「亀梨」とある。江戸幕府は、正保元年(1644)、全国の国絵図を作成するが、その際、「かめあり」に変わったと考えられている。「梨の実をありの実などいいかえし事もあり、これは全くなしの言葉を忌嫌いてかくいえるなるべし」と、梨の実を「ありの実」というのと同様に「なし」の言葉を忌み嫌って改められてたとしている。


【赤羽】


関東ローム層の赤土を赤埴(あかはに)と呼び。これが赤羽根に転じたという説が有力であり、江戸時代までこの赤羽根で通っていたが、明治五年(1872)に、東京府に所属すると同時に赤羽になったという。


代田橋


この駅名は、かつて近くの甲州街道にあった代田橋の名にちなむ。この橋の名は、日本各地に流布している伝説上の巨人、ダイタボッチ(ダイダボッチ、ダイダラボッチ)に由来する。抱いたボッチは怪力で、「富士山を一夜でつくりあげた」「榛名山に腰をかけ利根川で足を洗った」「足跡が池になった」などの伝説を持つ。大太法師とも書く。


二子玉川


地名の由来は、「多摩川の渡河点をはさんで、両側に集落ができ、二子の集落になったこと」と、多摩川をはさんで二子(二つ)の村があったとする説がある。


【戸越】


一説は、戸越神社の碑にあるもので、「江戸超えて清水の丘の成就庵願の糸のとけぬ日はなし」という古歌にあるように、つまり江戸を越えたところの成就庵(戸越神社隣にある行慶寺のこと)という意味の「江戸越」説である。もう一説は「谷戸越」説である。戸越のあたりは谷が多いことから谷戸越(やとごえ)といったのが、「えとごえ」となり、「いとごえ」と転じ、「い」音が消滅して「とごえ」になったという。

【八王子】


延喜13年(913)に奈良東大寺の僧妙行は、武蔵国を訪れた際に独立峰深沢山の美しさにひかれて修行を始める。そのとき夢の中で牛頭(ごず)天王が現れ、八人の王子とともにこの地に祀ってくれるなら、この地域の安全と幸福を護るとのお告げがあったので、延喜16年に深沢の頂上に社殿を建て、牛頭八王子権現社とした。この深沢山がのちに北条氏照が八王子を建てる場所であり、八王子とは牛頭天王の八人の王子のことである。


雑学博士になろう!(^^♪