酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「名古屋「駅名」の謎「中部」から日本史が見えてくる」(谷川彰英)

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名古屋「駅名」の謎  「中部」から日本史が見えてくる (祥伝社黄金文庫)
 

名古屋へは、少なくても月イチ、多いときは週イチで出張しているから、通算100回は行ってるだろうなあ!(笑)

 

上ゲ駅」?「御器所駅」?「呼続駅」?「前後駅」?「上挙母駅」? あなたは、いくつ読めましたか? 信長、秀吉、家康を輩出した尾張三河の地の「駅名」は 知れば知るほど どえりゃあ、おもしろい!普段、普通に使っている駅の「駅名」にさまざまな歴史的な意味、由来などが隠されている! 」そのエッセンスを紹介しよう。


「名古屋」の由来は2つの説。一つは「名子屋」説。「名子」というのは中世、領主のもとで住居・耕地などを借りて労役を提供し、江戸時代になって本百姓になった人々を意味している。その「名子」の家屋を指しているというのが「名子屋」説。二つ目は「根古屋」「根小屋」説。中世における武士の「館」、多くの武将が割拠していた。名古屋市内では小高い山はほとんど「根古屋」になっていて様々な武将たちが居城していた、那古屋城があった場所もその一つで、そう高くない場所に館を築いたのであった。


・「栄」は名鉄線の「栄生駅」と関連している。当時は「栄(さこ)村」「栄」は「迫」「佐古」あるいは「瀬古」などとも書かれ「狭い」という意味である。特に小高い土地と土地に囲まれた狭い谷のようなところを「サコ」というのが地名の世界の常識である。栄村の人々が出店を出して商売繁盛を願って「栄」と呼ぶようになった。これはこれでおめでたい地名ということになる。一方「栄」が有名になることによって、紛らわしくなり「栄村」の方は「生」をつけて「栄生」とした。初めはこれで「さこ」と読んでいたのだが、いつのまにか「サコオ」と延ばして発音するようになった。


上前津」の「前津」とは文字通り、昔このあたりまで入り江になっていて、船着き場があり「前の津」というところからついたというのが通説になっている。ということはこのあたりまで海が迫っていたということである。大須観音に近い商店街の中の「那古野(なごの)公園」に清寿院という寺院があったのだが明治になって廃され、名古屋市で初めての公園=「波越公園」だった。「波越」とは高波や津波が押し寄せてきて「波が超える」とも考えられ、この「前津」の近くということを頭に入れると、かなり危険地域ではなかったか。「波越」は「なごや」とも読まれ「名古屋」の起源だとする考えもある。

矢場町」の由来は、江戸時代に「矢場」=「弓矢を射る場所」が置かれたということ。駅から西に「三輪神社」に「弓矢場」が作られここで弓矢の訓練をしたことに始まる。

「前後」桶狭間の戦いで亡くなった兵士の首が前後して転がっていたという話や、戦勝した信長側の兵士たちが今川側の兵士たちの首を前後して並べたという話が伝えられている。


豊橋市一帯は江戸時代に「吉田宿」と呼ばれていた。吉田は多くは「葦の生えている田」程度の意味。「葦」は「悪シ」につながって縁起が悪いので「葦(よし)田」になり、それが「吉田」に転訛したというのが経緯である。


豊田市「猿投(さなげ)」。群馬の「猿ヶ京」は「去ヶ峡」で、遠く離れた山間の地を指していると考えられている。(略)


「半田」は「坂田」であった。「サカタ」を音読みにして「ハンダ」としそれが「半田」になった

 

へー!オモシロイ!やっぱり地理ネタ、好きだなあ。オススメです。(・∀・)

 

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名古屋「駅名」の謎  「中部」から日本史が見えてくる (祥伝社黄金文庫)