- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/08/01
- メディア: 単行本
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BOOK〜世界はわからないから美しい!『生命と偶有性』(茂木健一郎)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20110602
この本の後半部分に、「最良のパフォーマンスはいかにしてうまれるか」という章がある。これも実に興味深かった。つまり、スポーツ選手でも、偉大な記録を出す選手や、本番に強いと言われる人は脳科学的にどんな共通点があるのか、ということ。本番に弱い私(?)はこの文章にくぎ付けになった。そのエッセンスを紹介しよう。
・目的に「居付いて」はならない。心身を柔らかく保たなければならない。100mのウサイン・ボルトの走りをみていると、非常にリラックスしてい走っている、あの「稲妻」のポーズ。ギリギリの勝負の後に、そのような余裕を見せることができるということは、すなわち、ボルトがいかに心身をやわらかく保ってレースに臨んでいるかということを示している。ガチガチになってはかえって実力のすべてを発揮することができない。勝っても負けてもかまわない、結果はどうなっても良い。
スピードスケートの清水宏保さんの話では、世界新記録が出る時には、精一杯がんばっているというよりは、むしろ「流している」感覚なのだという。集中している時には自分が走るべきコースが光って見える。そのような極限的な状態にありながら、心は澄んでいる。ある意味では、この世界の有限なあり方から解放されている。そのような浮遊感の中で人は最良の自分に出会うらしい。
・それらの心理は、アメリカの心理学者・チクセントミハイが提唱する「フロー状態」に相当する。明確なゴール、集中していること。自己意識から解放されること。主観的時間感覚の変容。技術レベルと、挑戦していることの難易度の間にバランスがとれていること。自分自身が、状況をコントロールしているという感覚。行為そのものに、注意が向けられていること。
フロー状態は、スポーツの分野だけではなく、モーツアルトの作曲のプロセスや夏目漱石の初期の傑作を買書いたプロセスも一種のフロー状態であったと考えられる。フローという視点から見れば、天才とは「存在」のことではなく、「状態」のことである。誰でも、その技術や知識のレベルに応じて、「フロー」の領域に達している時には、その限りにおいて天才となる。
・フロー状態について考察していると、その最良の性質は、子どもの時に無心で遊んでいたあの無垢な時間のそれときわめて似ていることに心打たれる。スポーツであれ、芸術であれ、学問であれ、人はその意味を考えてとかく生真面目になってしまう。しかしそれではフローから離れてしまう。私たちは、誰でも子ども時代の遊びの経験を持っている。後世に語られるようなすぐれた業績を残した人は、この、子どもの遊びの感覚を持ち続けている者が多い。ここには、人間精神の本質に関わる、ある叡智が潜んでいる。100m走、スピードスケートにおけるアスリートは、競技の最中、他のことは考えないだろう。学問も同じこと。集中と没我。そこには遊びがある。フロー状態が顕れる。そのようにして初めて発揮される、人間の知性というものの輝きがある。