「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜世界はわからないから美しい!『生命と偶有性』(茂木健一郎)

テレビでもおなじみの脳科学者・茂木健一郎氏。(^u^)このブログでも何度も紹介してるよね。


BOOK〜妄想は日本を救う!…『妄想力』(茂木健一郎 関根勤
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20101018


茂木さんの著作の中でもケッサクの本がコレ。これは新しい生命哲学ともいえる。先行き不透明なこの21世紀を、ウチ(SA)では迷える時代って呼んでいるけど、その迷える時代に贈る渾身の一冊!そのエッセンスを紹介しよう。


・日本人を今不安にさせているものの正体に、人々は次第に気づき始めている。その正体とは、「偶有性」である。それは、私たちの生が容易には予測できないものということである。私たちは確かな「法則性」を必死になってつかもうとする。確実なものはある。その一方で、不確実さも残る。確実さと不確実さが入り混じった状態、これが「偶有性」である。「偶有性」とは、また、現在置かれている状況に、何の必然性もないといことである。たまたま、このような姿をして、このような素質を持ち。
このような両親の下に生まれきた。他のどの時代の、どの国で生まれて良かったはずなのに、偶然に現代の日本に生まれた。そのような「偶有性」な存在として、私たちはこの世に投げ出されている。この世のすべてが、決して確かなものとはならないこと。


・このような「偶有性」の所在は、私たちを不安にさせる。できれば、将来がどうなるか、確かな保証が欲しい。なぜ、自分がこのようなかたちでこの世に存在するに至ったのか、その信じるに足る説明が欲しい。そんな願いは、所詮は虚しい。なぜならば、私たちの生命そのものが、「偶有性」を本旨としているからだ。「偶有性」から逃げようとすることがは、すなわち、「生命」そのものを否定することに等しいのである。


・自分がたまたま置かれた「偶然」の状況を、逃れられないものとして受容する。いわば、「偶然」を「必然」として受け入れる。そのような、「偶然」から「必然」への命がけの跳躍、すなわち「偶有性」こそが、私たちの生命を育んでくれる。そのことを、昔の人は「覚悟」と呼んだのではなかったか。思うに、昨今の日本人には、あまりにも「覚悟」が足りなかったのであろう。今は、私たちは、私たちを不安にさせているものの正体、すなわち「偶有性」を直視し、抱きしめるべき時が来ている。偶有性の海に飛び込め!そうして、力の限り、泳いでみよ!何を恐れることがあろうか。生命は、もともと、偶有性の大洋の中で育まれてきたのだから。何のこともない。飛び込むといっても、母胎に還るだけの話だ。偶有性を見つめよう。そこには、私たち自身の姿が浮かび上がってくるだろう。私たちの不安の理由が明らかにされ、希望の道筋が見えるだろう。


・偶有性の本質は、半ば規則的であり、そして半ば偶然であるというその中にある、偶然と必然が有機的に絡み、その中で私たちの生は進行していく。私たちの脳の記憶はいい加減であるが、コンピュータの方は正確で、また安定している。ここにも予測可能な規則性と予測不可能なランダム性が混合した偶有性が立ち現われる。世界には数千の言語がある。しかし普遍的な文法構造が潜んでいる。


・かつて岡本太郎が乾杯の音頭を頼まれて、「この酒を飲んだら死んでしまうと思って飲め、乾杯!」と叫んだように、生きるということは何も見えぬ暗闇への命がけの跳躍である。その一方で、生きるとは、絶えざる「過去との和解」でもある。


私たち人間とは何か?それは、徹頭徹尾「有限」の立場に置かれた存在である。私たちは限られた身体を持ち、ある特定の文脈で活動し、与えられた関係性の中で最善を尽くそうとすjる。だからこそ、「知性」が私たち人間にとっては本質的問題になる。それにもかかわらず、人間はついつい「無限」を考えてしまう。


私たちは、まずは行動しなければならない。そうしうて、その行動の結果を引き受けなくてはならない。向こう見ずにならなくてはならない。そして、失敗したり、転んだり、怪我をしたり、傷ついたり、傷つけたり、ぶつかったり、すれ違ったり、落胆したり、望外の幸せに浸ったり、時には絶望しなければならない。そして、私たちの生においては、「星」も「暗闇」も孤立などしていない。私たちの認知の有機的な網の中で、星と暗闇はお互いにふるえ、共鳴しながら命という花火を演出しているのだ。


・偶有性の海に飛び込み、自らが存えることを図り、愛する人間が幸せになることを願い、思わぬ事態におびえ、恐怖から隠れ、やがて訪れる死から目を逸らし、時には卑屈に、たまにはほんの少しの勇気を持って生きる私たちが、知らぬうちに利他的な行動をし、他人とつながり、公共性の中に満たされているとは、何という奇跡であり、恩寵であることだろう。愛し、憎め。夢を抱き、絶望せよ。暗闇の中を手探りで歩く日常の中でやがて、自分たちの前に、「無私を得る道」がどこまでもまっすぐ延び、生命の輝きをもって誘うことに気付くのだ。


21世紀の「堕落論」(坂口安吾のような本だね。とても勇気付けられる一冊。人間だから、悩んでいいんだ!オススメです。(^u^)