- 作者: 仲正昌樹
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2005/06/25
- メディア: 単行本
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いま社会の様々な場面で「話」が通じなくなってはいないか?「話」が通じなくなるその構造を、気鋭の研究者が哲学・思想的な観点から分析。お互いが抱える「卑小な物語」の枠を超え、真の意味での「対話」の必要性を説く、哲学・思想エッセイ。そのエッセンスを紹介しよう。
・最近人前で話をする機会が増えたせいか、行儀の悪い「聴衆」の態度に腹が立って、半日くらいムカついた気分が続くことが多くなった。「悪質な聴衆」は、講演者の話をよく理解しようともしないで、「質問タイム」を待っている。無論、もともと「理解」すつ気がないので、それは本来の意味での「質問」ではない。言うことが、決まっているのだ。自分が常日頃から世間に向かって言いたいことを、そういう「場」を利用して口にしようとしているだけなのだ。
・「コミュニケーション」をする時は、相手の話をまず理解すること、少なくとも、理解しようと努力することが大前提であり、そういう態度がなかったら、何らかの言葉のやり取りや、お互いにとっての癒しの効果があっても、「コミュニケーション」とはいわない。
・人の話をよく聴いたり読んだりしないまま、適当に分かったつもりになって、特定のキーワードにだけパブロフの犬のように反応するお子様な人たちが増えている、という身も蓋もない現実である。学力低下傾向が若者だけでなく、高齢の人たちまで及んでいるとか、社会全体としてコミュニケーション能力が低下してうるとか、いろんな要因を挙げることができるが、背景抜きに単純化して言えば、ともかく「人の話を聴かない」ということに集約されると思う。
・いずれにしても、相手の言うことを落ち着いて「聴けない」という状態が続けば、言語運用能力が低下していく。冗談ではない。講演会とか講義などで一時間、二時間と連続して他人の話を聴くのは、それなりに集中力・忍耐力・基礎学力がいることであり、学力低下している最近の学生にはなかなか難しい。すぐに私語したり、寝たり、きょときょとし始める。一般的に言って、年を取っていくと、意識的に努力しない限り、「聴く」能力は自然と減退していく。
ウチ(SA)のスキルやメッセージが日々の人間関係に役立つといいなあ。(^u^)