- 作者: 小林よしのり
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/06/04
- メディア: 単行本
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「てるくんは何になりたいの?」
「先生、日本でイチバン偉い人は誰ですか?」
「ん〜そうねえ…天皇陛下かしら」
「じゃあ、僕は天皇陛下になる!」
「いや〜それはムリだわ!」(^_^;)
なぜか子どもの頃から理屈抜きで天皇陛下が大好き。というよりも大きくて大げさで偉いモノが好きなんだろう。今でもそうだが、右翼でもなく当然左翼でもなく、日本人として天皇陛下をお慕い申し上げている。
さて、この本はハードな漫画家・小林よしのり氏の渾身の書き下ろしかつ最高傑作!
戦後日本人が初めて天皇を知るときが来た!「天皇は神なのか」「宮中祭祀とは何か」「戦争責任はあったのか」 誤解と偏見だらけの天皇観を正し、雅子妃や皇位継承をめぐる現代皇室の問題点にも鋭く切り込む、最高の「天皇入門書」登場。今上天皇、美智子妃、昭和天皇をはじめ皇室の知られざる秘話の数々に、驚きと感動が止まらない!
思わず読んでいて涙してしまった…。(ToT) すごいなあ…日本って。偉大だなあ…天皇陛下って。日本に生まれて良かった〜!(織田裕二ふうに)改めて天皇を真正面から捉えたケッサク。賛否両論あるだろうが、小林氏がよくここまで書いてくれた!その中のエッセンスを紹介しよう。
・古今東西に「国王」などの世俗的君主はあまた存在する。そして民を虐げ、私利私欲に走った王の話もまた枚挙にいとまない。そのような歴史の中で滅びた王制も数多い。しかし日本においては、「民」が「天皇」の存在を滅ぼそうとしたことは歴史上いまだかつてない。それは天皇が世俗的君主と異なり、祭祀を司る存在だからである。公のため、民のために祈る存在であり、私利私欲とは全く無縁だからである。
・昭和63年(1988)9月、昭和天皇は大量の吐血をされて危険な症状となった。雨の多い秋だった。お見舞いはの記帳に向かって坂下門に長蛇の列をなした。崩御されるまでの間にお見舞いの記帳をした国民の数は一千万を超えたという。最期の病床に臥した天皇は、お見舞いに上がった宮内庁長官にこうおっしゃった。「雨が続いているが、稲の方はどうか?」重篤な病状にある自己のことよりも、その年の稲の作柄を案じておられたのである。それは常に民のかまどのことを思う天皇の伝統そのものだった。
・天皇の名に関してはこれが最も重要なとこなのだが、天皇や皇族には「姓」がない。「浩宮」や「敬宮」などは称号である。「秋篠宮」などは皇族男子成人したり、ご結婚や独立した際にその方だけに与えられる宮号で、「姓」ではない。そもそも「姓」とは氏族という、共同の祖先を持つ集団を称するもので、天皇が臣民にその印として賜与するものだった。当然、それを与える側の天皇に姓はないわけである。
・天皇は「制度」ではない。あくまでも自然に形成された天皇の存在が主体であり、憲法や皇室典範の「制度」によって天皇が作られたわけではない。天皇や皇室そのものを「天皇制」とは呼べないのだ。
・天皇は「国民」ではない。天皇には戸籍がない。即位拒否や退位の自由もない。職業選択の自由もない。婚姻も本人の意志だけでは決められず。皇室会議を経なければならない。天皇には参政権もない。健康保険・年金といった社会保障もない。さらに神道による祭祀を行わなければ、事実上、信教の自由もない。制限だらけだ。これは明らかに「国民」とは別枠に位置づけられているということである。つまり日本には「天皇」と「国民」がいるのだ。天皇は「無私」であるからこそ、国民には認められる自由や権利が認められない。そして、ここまで徹底した「公」の存在であるからこそ、日本では有史以来「天皇」や「民」と対立関係になったことがない。皇室は「国民の権利や自由」を奪われている身分なのだから「特権」なんかあるはずがない。
・国家・国民のために祈っておられる天皇に対して、我々国民は皇后陛下のように「かしこむ」気持ちの一端でも感じているだろうか?私利私欲に突き動かされながら増長した自我を皇室に向かって発散させ、我々こそが主権を持つ主人であるぞと勘違いした愚かな国民のためにも。天皇は祈っておられる!天皇は我々の魂の中にある。
天皇皇后両陛下が福祉施設を慰問されるときに、目の高さまで視線を合わせ、国民とお話しするお姿をテレビで拝見すると、思わずジーン…とくるのは私だけだろうか。すべての国民に読んでほしい一冊だ!オススメ!(^。^)