「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜球界をダメにする!…『プロ野球 誤審の真相』(工藤健策)

プロ野球 誤審の真相―球界をダメにするおかしな構造

プロ野球 誤審の真相―球界をダメにするおかしな構造

またまた野球本。ありゃりゃ!?この10日間で野球関連の本は3冊目か!(゜o゜)バランス良く読書をしているはずなのに…。どれだけ野球が好きなんじゃい!まあ、いっか。交流戦も始まるし。


この本には考えさせられたなあ…。野球を陰で支える審判の人たちの光と影…、というよりジャッジは、正しくて当たり前だから影ばかりか…。何かあれば抗議される…そんな縁の下の力持ちの審判の誤審を深く分析したのだ。


誤診と言えば、第一回目のWBC、 2006年3月14日、二次リーグでの、日本対アメリカの、ボブ・デイビッドソン主審の「誤審」。あれは本当にアタマに来た!!!世界の王監督も紳士的な抗議をしていたよね。
実は、「野球規則」に、「誤審」という言葉は存在しないのだ。審判が「セーフ」を「アウト」にしても、それが「最終のもの」で、「意義を唱えることは許されない」と決められている。「誤審」があっても、監督・選手は文句を言わずに、審判の判断通りに試合をしなさいということだ。その「誤審」の表面化しない事実とは?その矛盾とは?プロ野球の欠陥とは?そのエッセンスを紹介しよう。


・ジャッジには、いくつかの慣例がある。これは従来からの「暗黙の了解事項」だから、この事例が勝敗にかかわるときだけビデオ判定を参考にしろといわれても無理だ。
現代の野球では、内野手がゴロを捕って一塁に送球した場合、一塁手の足がベースから多少離れても「アウト」にしている。正確にコールすればセーフだが、アウトとみなすのは一塁手と走者の足が交錯してのケガを防ぐためだ。(厳密に判定していたら、一塁手の王は足を痛めて、868本のホームランは打てなかった)一塁手の足はベースから早く離れがちだが、送球がいいときはそれでも「アウト」。送球がそれたときは、足が一塁についているかしっかり見て厳格に判定している。


・ほかにもみなし判定にしている例がある。普通の併殺プレー。走者一塁で、走者一塁で、打者は三遊間のゴロ、遊撃手が捕って二塁手に送球。二塁手は走者のスライディングをかわしながらベースを踏んで、遊撃方向へ駆け抜けながらボールを一塁へ転送してダブルプレー。このピボット・プレーは二塁手の足がベースを踏んでいる間に、二塁手が送球を受けたか微妙なケースが多いが、二塁手の足がベースに触れていれば、捕球と多少のズレがあっても「アウト」にしている。理由は走者のスライディングによる二塁手の負傷防止と二塁手がベース上に止まって投げた場合、走者に送球が当たることの防止のため。安全対策だ。塁審の正確な判定が難しいためでもある。


・また、外野フライで走者がタッチアップから次の塁へ走る時は、多少離塁が早くても「アウト」にしない。野球本来のプレーにかかわらない部分では試合を流し、試合の興味が失われるのを防ぐための慣例だ。また、同点の九回裏、走者三塁、一打サヨナラの場面で、投手でセットポジションから投球。完全に静止しなくても、多少なら「ボーク」はとらない。理由は同じ。


審判にも選手と同じようにスランプがある。体調や精神状態の違いで、判定にばらつきが出る。チームでは、コーチが選手のコンディションを見守っているが、審判にはそのシステムはない。審判を、ストレスを抱えたままで、ひとりにしてはならない。


・日本では審判はセ・パ両連盟会長の管轄下にある。後ろ盾は連盟会長で、川島前コミッショナーはセ会長時代、審判が批判されると「審判の味方は、奥さんと会長しかいない」といって審判をかばっていた。しかし、野球規則に基づいて試合をしているのに、日本では、審判が球団から抗議文を突きつけられ、責められている。日本の審判の孤立感はメジャー審判より強い。それは、それぞれが技・職人芸を誇る一匹狼であることも関係する。


・審判は、プロ野球の監督、球団関係者、解説者に「野球規則」や「アグリーメント」を熟知している人がほとんどいない」ことや「監督がルールを知らないのに抗議してくることや解説者がルールをわからないままでルール解説をしている」ことを発表できないでいる。
「野球規則」は走者と野手が交錯するようなケースでは、守備優先と決めてある。ルールの大原則のひとつだ。理由は「走者と野手の接触時には、守備妨害になるか走塁妨害になるかを(どちらにより多くの過失があるか)審判が判断して決めるのではなく(そうすると、つねに紛争のタネになるから)、ルールで事前に決めておこう」ということだ。ところが、解説者は「いまの判定はおかしいですよ」という。解説者もこのようなケースを知らないのだ。


NHKの解説者・鈴木啓示は、審判のジャッジを話題にしない。アナウンサーが「いまのがストライクですかね」などと審判批判をしようと水を向けても同調しない。「あのコースでしたら、バッターは手を出さなければいけません(見逃してボールにしようとしてはいけません)」と毅然としたもので、さすが300勝投手はちがうと思わせる。鈴木は「投手はアンパイヤとも勝負をするもの。いいタマを投げて、「ストライク」の判定を得るのも技術のうちですから」とのスタンスだ。大野豊与田剛東尾修も審判の悪口を言わない。二人とも投手人生で地獄も天国も見てきた。性格も良いのだろうが、人を悪く言わないのが身についているようだ。捕手出身の梨田昌孝大矢明彦達川光男有田修三も審判の悪口を言わない。彼らは野球を熟知しているので、信頼して解説を聞くことができる。達川は広島市民球場での試合の解説で「今日の塁審の土山審判ですが、いい顔をしているんです。ファンの皆さんは選手だけでなく、こういった審判も応援してあげてください」との解説をしていた。


その他「危ない審判」、「危ない監督」、「テレビには映らないプレー」、「迷解説が野球離れを助長する」…なども面白い。
審判という仕事の大変さを思い知った。あとがきに書いてあるけど、「野球には、どんな名審判でも判定不能な領域がある。それは野球の神様がつくったワナのようにも思える。ワナも含めて楽しむのが野球だといいたいのだ」とあるけど、ホント、その通りだね。いい本です!(^u^)