「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

HUMAN〜『動物にできて人間にできない子育てって』(中川志郎)


私が小学生のころ、夢中で読んだ週刊少年ジャンプ。その中でも大好きだったのが、飯森広一氏の「ぼくの動物園日記」というマンガ。(^ム^) 今は、もう廃刊になってしまって手に入らないかなあ…。名作だったよね〜。東武動物公園の元園長でカバ園長の愛称で親しまれた西山としお(登志雄)さんが主人公だったね。そこにも登場している獣医師でもあり、元上野動物園園長で日本動物愛護協会理事長の中川志郎氏。2010年4月号の雑誌WEDGE「TOP RUNNER」欄に掲載されていた。この内容が実に考えさせられるのだ!そのエッセンスを紹介しよう。



「いま政権が、子育て支援や教育に力を入れています。それ自体は僕も賛成なんですが、どうも、親が働きやすくなったり、趣味の時間がとりやすくなったりすることが目的になっているように感じます。育てられる子どもの側に立って、政策がどういう意味を持つかという深い考察がないんじゃないか。生まれたばかりの子どもが絶対に的に必要としている母親を、遠ざける政策になっていないか」
子ども手当保育所の増設、高校教育の無償化…。いずれの政策にも、子どもを育てやすい環境を整えるとの大義があろうが、それらはおしなべて親にとって都合のよいものであり、むしろ子どもにはマイナスになりかねないと、中川志郎氏は危惧する。


中川はその半生を動物園に勤めて送り、数多の動物の出産や育児に関わってきた育児書も保育所子ども手当もない動物たちの子育てからうかがえるのは、生物としての原点、言い換えればこの成長や群れの安定を実現するために進化の過程で獲得してきた仕組みである。人間もまた動物の進化の結果として存在するのに、今はその原点を忘れつつある
生物としての子育ての原点とはなんだろうか。中川によればすべての生物には、どうしたら無益な争いを避けて共生できるかなど、長い歴史の中で積み重ねてきたノウハウが遺伝情報として記憶されている。それを発現させるには、生まれてからの、生物的学習、生態的学習という2段階の学習が必要になる。


「霊長類で言えば、絶対的な安心感があった子宮から生まれて出た子供に、子宮にいた時と同じような安心感を与えるのが、母親の抱擁や言葉かけです。その中で子どもには、自分を保護してくれるのが母親であり、自分は母親と同じ生き物であると刷り込まれます。こうした密着状態を通して、母親への絶対的な信頼感(原信頼)が生まれる。これが生物的学習です」


「原信頼があるから、母親の行動を真似たいという衝動が起きます。そうして生きる術を学んでいくのが生体的学習です。また、母親への信頼が、母親が一緒にいる人への信頼へと広がっていきます。信頼がなければ絆が生まれません。まず、母親への原信頼があり、次に父親と絆を結び、祖父母や兄弟と絆を結んでいきます。長じて集団に入るときも、母親という基地に帰れる安心感があるから踏み出せるんです」


「たとえば、動物園の飼育係に育てられたサルは、どれだけ可愛がっても人間のやり方でしか育ちませんから、成長しても群れに入っていけなかったり、自分に子どもが生まれた時にどう育てていいのかわからなかったりして、トラブルを起こします」母親がひたすらに抱いていてくれるおとが子どもに安心感を与え、それは保護する母親への信頼を生む。原点ともいうべき信頼が、母親の行動を受け継ぐことにつながり、また家族や仲間との関係構築にもつながる。つまり、個体として生きるために必要な術、社会をつくるために必要な知恵の出発点が、生まれてすぐの母子の密着状態にあるということだ。


一方で父親は「そこにいることが重要です。存在そのものが安心感を与える」というのが、その機能だという。「父親は母親よりも生物学的にはつながりが細いので、母親が父親を頼っている、尊敬しているという2点がないと、子どもには伝わりません」と中川はいう。


考えてみれば、生物的学習から始まるプロセスは、子どもがより安全に育ち、集団の中で生きていくために必要な仕組みとして、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類とうい進化の過程で得られた最適解であったはずだ。なのに現代の人間は、子育てを「大人にとって」という視点から眺めようとしている。いきおい、生物的学習や生態的学習に十分な時間を割くのは難しくなるだろう。


中川は、人間が他の動物と違うのは、生物的学習と生態的学習の先に体外脳があるということだという。体外脳とは、個体とは、個体が蓄えた知識や経験がその個体の死とともにリセットされるのではなく、他の人に伝えるべく外部に集積していることを指す。人間は、書物や教育など自分の外にある「脳」から後付けで、「私はホモサピエンスである」「社会に出るためには相手との信頼関係が大事だ」と学ぶことだってできる。だから、母子の接点は減ったとしても、子どもには後で教育を与えればいいい、何よりも親にとって仕事や趣味は大事だしと、考えるのも無理はない。


チンパンジーは4年おきに子どもを生みます。子どもは4歳になると、次に生まれてくる弟や妹を母親から借りて子守をします。弟や妹はいない時は、何も命じられていないのに、よその母親のところに行って頭を下げて、赤ちゃんを借りてくるんです。チンパンジーには、育児書も道徳の時間もありません。道徳や倫理は頭で考えるものではなく、自然発生的に沁み込んだものが表に出るということです」両親に可愛がられた経験が、違う個体を慈しむ行動につながっている一例だろう。


「それに人間こそ、最初の密着状態を必要としているんですよ。人間の妊娠期間は霊長類の中でも一番長いし、赤ちゃんも相対的に大きい。ゴリラの赤ちゃんは1.5キロしかありませんから。しかも人間の赤ちゃんは、生まれてから1年はほとんど動けず泣くだけです。つまり、母親にはものすごい負荷で、それがなんで進化なのか。実は、生まれた瞬間の視覚、聴覚、嗅覚などの感覚は、人間は圧倒的に完成度が高いんです。発達した感覚で、ケアしてくれる母親のことを、1年間ですごい勢いで吸収し、母親を通じて父親や家族など絆を結んだ人が投影されて、子どもが立ち、社会化していくんです」


それでも人間は、生物としての子育てを忘れてきている。その背景を中川は、テレビや携帯やパソコンによって巨大化する体外脳についていけないと人間ではないといわんばかりの風潮があることを指摘する。あわせて、人間が長い進化の結果として存在することを忘れ、人間は動物とは別であるという傲慢さを抱いていることも大きな原因だという。母親と父親の機能の違いが、奇妙な平等意識の中でないまぜになってきた感がある。また、自分が本来すべきことを、カネを払って誰かに委託することも当たり前になってきた。人間は、そんな思想やシステムを生み出したことで、かえって子育てに悩み、汲々としてしまっているのではないだろうか。動物の子育てはまた、親から子へとうい縦のつながりにおいて、大事なものが受け渡されることも示唆している。これも、親の責任を学校や社会に丸投げしている風潮に対して、痛烈なアンチテーゼを投げかけている


…深いよね〜。そのとおりだよね〜。私が子供の頃は、母の背中におんぶされてたし、母はそのまま農作業してたんだしね。
妙に納得した文章でした!(゜o゜)