「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜2000勝の伝説の投手!…『史上最高の投手はだれか』(佐山和夫

史上最高の投手はだれか (潮文庫 (245))

史上最高の投手はだれか (潮文庫 (245))


日本のプロ野球で、200勝、250セーブ、2000本安打で入会できる名球界。(・。・)
今、打者で、一番近いのはオリックス・大村の1865安打、巨人・小笠原1832安打、ロッテ・堀の1827安打…などけっこういるんだけど、投手では、埼玉西武・西口の163勝なのでしばらくは出ないだろうなあ。


さあ、インパクトのあるタイトル。久しぶりに読んだら面白くて面白くて一気に読んでしまいました。
1934年、ノースダコタのビスマークに入団。その年105戦して104勝。生涯通算2500試合、2000勝したといわれ、大リーグ入りが42歳、最後の登板が59歳という仰天のエピソード!
時代と黒人差別の歴史に翻弄された伝説の投手といわれれるサチェル・ペイジのエピソードを紹介しよう。


・仮に今、君が世界一のテナー歌手だったとしよう。オペラ座の中では、君よりはるかに劣る歌手がステージに立ち、カーテンコールを受け、お金のシャワーを浴びている時に、世界一である君が、もしその建物の外に立って、手廻しのオルガンに合わせて声をはりあげ、エンピツを売っていなければならないとしたら、一体、君はどう思うだろうか。もし、君がベートーヴェンだったとして、タバコ売りの鳴らすチンチンという曲とか、西部劇のタイトル曲ばかり作っていなければならないとしたら、どんな気がするだろうか?サチェル・ペイジの生涯というのが、実はそれなのだ。


・相手チームの強打者を二、三人。、わざと四球で歩かせるのだ。そして満塁にしておいて、強打者と対決の場を作り出す。野手を引き揚げさせ、捕手と自分との二人で相手を打ちとることまでやった。この「内外野引き上げ」という前代未聞かと思われる場面を250回以上したと伝えられている。


スピードとコントロールが抜群だった。その練習方法も、全く他人には真似の出来ないものであった。普通投球練習をする場合、捕手の前にあるのは、当然ホームベースである。それをハンカチにし、タバコの箱にし、後にガムの包み紙にと変わっている。「それを見るだけでも価値がある」ということから、大変な人気になった。ただの投球風景自体がひとつのアトラクションとなったのだ。


・1930年代の中ほどだったと思うが、サチェルが大リーガーを相手に投げるのを見たことがある。誇張ではなく、彼は打者を翻弄しオモチャにしていた。ゆるいボール、さらにゆるいボール、ほとんど止まっているようなボールを投げたかと思うと、ズバリと切れ込んでくる速球が来る。顔には笑みを浮かべて目にも止まらぬ球を投げるのだから、たまったものではなかった。


サチェルの投げた球が、実際消えてしまったことがあるのだという。捕手のミットにもなく、審判の目にも止まらず、みんなで行方不明のそのボールを捜し回ったのだそうだ。


・彼が持つ人気をあてに、多くのチームが彼との契約を求めて集まった。一試合いくらで雇われることが多くなった。ひどい時には、同時に十もの異なったチームに所属したことだってあったらしい。生涯を通算してみると、合計250もの異なったユニフォームを着たとされる。その後着たり脱いだりが面倒臭くなり、「PAIGE」と胸に書かれただけの独自のユニフォームを着て登板したらしい。


なによりも、「自分の力で変え得るものは変え、変え得ぬものには耐えた」というサチェルの達観した人間性に感動!
今、平和な世の中で、イチロー、松井を見られる私たちはなんて幸せなんだろう!おススメよ!(^−^)


サチェル・ペイジ 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%82%B8
Satchel PAIGE(サチェル・ペイジ
http://circlechange.com/players/satchel-paige