「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜9人のサムライたち…『プロ野球 いぶし銀のベストナイン』

プロ野球いぶし銀のベストナイン

プロ野球いぶし銀のベストナイン

またまた野球の本。(^。^)野球があまり分からなくても、この本はオモシロイよ〜!(^−^)著者は、スポーツライター澤宮優氏。名球会に入るような名選手ではないが、オンリーワンで個性的ないぶし銀のような9人の選手の生き様を紹介した本。そして、これは冒頭の『永淵洋三』という酒豪強打の選手のために書かれた本といってもいい。彼を紹介しよう。


永淵洋三近鉄バファローズ → 日本ハムファイターズ)という天才打者がいた。彼は規格外れの個性派だった。打者として首位打者にも輝いたが、一方では類まれな酒豪として、漫画家の水島新司が「あぶさん」の景浦安武のモデルにしたほど。
二刀流で投手もやり、プロ野球に入った動機が、飲み屋の借金を重ねて会社の金を使い込み、その返済のためにプロに入ったというなんとも型破りの人間だった。イチローにもっと人間的な臭みを与えて、もっと長打力のある打者にすれば永淵の姿に重なるだろう。


・昭和39年、彼の給料は三万円だった。最初は会社の金を千円、二千円と持ち出して飲み代に充てた。それが一年で自分の給料の十倍、三十万を持ち出していた。永淵は密かに使い込んだ会社の金をばれないように契約金で返そうと考えたのだ。「遅かれ早かれいつかばれてクビになるとおもっていました。僕はなんとかしてプロに入って支度金で返せないものかと考えたんだ」そんなとき、近鉄からドラフト二位で指名される。25歳だった。


・とくに酒のうまい、まずいで自分の体調がわかるといった人間だった。そして酒を飲むと翌日の調子がよくなるちょいう不思議な男だった。「飲んだほうがヒットが打てる」が持論だった。


・永淵は自分の集中力を保つためにあまり練習をしなかった練習は試合前だけ。量も皆の半分ほど。「小型だから(身長168センチ)エンジンのかかりは早いけど、長続きがしない。練習であまり打つと試合で疲れてバットが振れない。怠けるようだけど、少し打ったら休むことにしてるんです」


・1969年のオールスターゲームは、前の晩から朝まで飲んでしまい、一睡もしていなかった。そのまま福岡の平和台球場に入ると早い時間だったので喫茶店でまた飲みだした。彼はパ・リーグの三番。しかし、打席に入ると目も据わり、ぴたりと体の震えが止まった。その日、巨人のエース・堀内恒夫からライトスタンドにホームラン。400勝投手金田正一からは、センター前ヒットを打ち、優秀選手賞を獲得。彼は「金田さんは遅かった」と語っている。


・昭和54年引退。実働12年、962安打、109本塁打、409打点、134盗塁、通算打率.278
「酒を飲んだことも、野球を続けてきたのも、これっぽっちも悔いはない。酒量が落ちたときに成績も落ちたよ。酒を飲まなかったらもっといい成績を残せたという人もいるが、酒をやめていたらここまでやれたかどうかわからん。俺は幸せな男ですよ」。今は故郷・佐賀で焼き鳥屋あぶさんを経営している。


その他、ピンクレディー「サウスポー」のモデルでもあり、水島新司野球狂の詩水原勇気のドリームボールのモデルとなった左のアンダースロー永射保、「日本のプロ野球史上、最高にうまい守備と走塁といわれた男・屋鋪要(表紙の写真)、「史上最強のスイッチヒッター松永浩美」、「清原と新人王を争った男・西川佳明」、「和製ベーブ・ルース吉永幸一郎ノーヒット・ノーラン三回の怪腕投手・外木場義郎などなど。


すごいね〜!型破りだねえ!(^_-)-☆名選手よりも、こういう個性的な迷選手(?)の方が好きだな!オススメよ。(^_-)-☆