いや〜!この本にはびっくらこいたなあ!!!(゜o゜) だって、あの有名なオオカミ少女のアマラとカマラの話が実はウソだったというこのタイトルと中身なんだからっっ!!!
人は人として生まれたから人になるのではなく、人として育てられてきたから人になるという教訓や小学校の道徳や高校の倫理の教科書にも使われてきたというのに…。(>_<)
なぜそんな誤解が生まれてきたのか?心理学のさまざまな舞台裏のドラマを明るみに出す知的冒険の書!そのエッセンスを紹介しちゃおう!
・オオカミに育てられたアマラとカマラという少女の話を聞いたことがある人も多いでしょう。1920年に発見されたときはオオカミのように、人間らしいところは微塵もなく、四足で歩き、生肉を好んで食べた。手を使わず、口をそのまま食物にもっていった。夜中に活動的になり、オオカミのような吠え声やうなり声をあげた。夜のほうがものもよく見え、嗅覚も鋭かったという。アマラは1年後に病死し、カマラはなんとか立って歩けるようになったが、最終的に覚えた言葉は45語にしかならなく、9年後に亡くなった、というもの。
しかしこの話はおかしなところがたくさんある。動物の専門家から見れば、オオカミが人間の子どもを育てるはずがない。オオカミの乳の成分は人間の赤ちゃんは消化できない、また発見された写真の不審点、人間は四足で走れるような構造になっていない、アマラとカマラ発見の際の証言の食い違い、オオカミは雑食で生肉しか食べないということはない、専門家でアマラとカマラを見た者はいないという点。
実は、アメリカ発達心理学のゲゼルがこの話の本を出版したのだが、発見者のシングの記録にかなりの手を加えていることが分かったのだ!
・おそらく事実に近い話しはこうだ。別々か、同時か分からないが、アマラとカマラという自閉症、もしくは、ほかの重い障害のゆえ育てにくいために遺棄された子どもたちがいた。(オオカミに育てられたのではなかった)、ある時、村人に生け獲りにされるが、言葉を話さない。そこにたまたま牧師のシングに子どもたちを託した。シングは、自分の孤児院で他の孤児たちと一緒に養育する。その際、周りから「オオカミ少女」と呼ばれることもあった。1年後アマラは亡くなる。5年後、彼らこのことを報じるニュースが広がり、問い合わせの手紙がシングのもとに届き、この頃から、シングは意識的にオオカミらしさを強調する日記を作り始め、オオカミ少女に見える写真を撮る。3年後にカマラは亡くなる。そして…あとは本を読んでね。(^^ゞ
どう?驚かない?(・。・)オモチロイよ〜!
その他、映画にサブリミナル画像を挿入したらコカコーラの売り上げが倍増したという実験も嘘だという「まぼろしのサブリミナル」「3色の虹?」「バートのデータ捏造事件」「なぜ母親は赤ちゃんを左胸で抱くか」「実験者が結果を作り出す?」「ワトソンとアルバート坊や」…なども好奇心をそそる内容だ。オススメよ!(*^^)v